名護市の田井等・親川豊年祭 2026
名護市田井等と親川は、1736年に田井等村から親川村が独立した関係で、2年毎に合同で豊年祭を行っています。
1日目は親川公民館、2日目は田井等公民館が主会場です。
2026年9月19日(豊年祭1日目)の様子を紹介します。
道ジュネー、獅子舞、琉球舞踊、エイサー、大道芸、棒術など盛沢山の内容でした。

旧暦8月8日のワラミキ(童神酒)御願で、豊作を神に感謝して、来年の豊作を祈願します。
昔は旧暦8月8日が豊年祭の正日でしたが、近年は旧暦8月8日に近い週末に豊年祭が2日間行われています。
午後1時頃、田井等アサギで、豊年祭の御願が始まりました。

獅子頭の入った獅子箱にも手を合わせます。

獅子箱が持ち出されました。

田井等親川の獅子頭の目には、夜光貝が埋め込まれていて、キラッと光ります。
戦前の獅子頭は、1870年代に羽地大川に移住した首里からの士族、翁長林英が製作。
現在の獅子頭は、戦後に渡久地セイコーが仕立てました。
ちなみに田井等親川の獅子は雄で、隣の名護市川上の獅子(雌)と夫婦です。
川上の操り獅子は、田井等親川と川上の子獅子ということになりますね。

田井等アサギの横では、棒術の奉納。

続いて、「長者の大主」の奉納。

若衆による琉球舞踊「かぎやで風」(「長者の大主」の一部)。

二才による琉球舞踊「上り口説」。

獅子舞の奉納。
戦前の振り付けは、親川孝一によるものです。
1923~4年頃、宜野座村松田に獅子舞を教えたそうです。
その後、宜野座、金武、並里にも舞の型が伝わりました。



獅子頭を獅子箱に納めて、親川グスクに移動。
午後2時頃、神アサギの前で獅子頭を安置して、御願。


神アサギで、唄三線の奉納。

棒術の奉納。

「長者の大主」の奉納。


「上り口説」を奉納した後、獅子舞の準備。
田井等親川の獅子舞で面白いのは、獅子頭から後ろ足まで毛皮が繋がっていること。
獅子舞の舞手は、寝袋に入るように寝転んで準備します。
下の写真を見れば、状況が分かるかな。

獅子舞の奉納。



獅子舞の後は、獅子頭を獅子箱に納めて、田井等アサギに一時保管。
一旦、休憩になりました。
午後5時、田井等公民館に集合。
田井等公民館前には、旗頭が立っていました。

午後5時半過ぎ、旗頭を軽トラに積んで、道ジュネーが始まりました。
親川公民館を目指します。

旗頭の後には、地謡、獅子舞の舞手、獅子舞のワクヤー、棒方、踊り手が続きます。



道ジュネーが公民館に到着すると、棒方の人たちが田井等アサギに向かいます。

棒方の人たちが、獅子箱を田井等アサギから親川公民館へ運びます。


午後7時頃、プログラムにはありませんでしたが、エイサーの余興が始まりました。


プログラム1番、「総踊り」。
琉球古典音楽「渡りざう」と共に、獅子舞を先頭にして、踊り手たちが舞台を廻ります。

後半の二才たちは、「作たる米節」「あやぐ節」に合わせて踊りました。

プログラム2番、「長者の大主」。
大主の祝言。

若衆(子や孫たち)の「かぎやで風」。

二才2名の口説。
ウチナー口の囃子を入れていたので凄いです。


プログラム3番、二才踊「上り口説」。
歌詞は、琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)の様子です。


プログラム祝、女踊「女花笠(本嘉手久)」。
出羽の本嘉手久節では杖、中踊りと入羽の出砂節と高袮久節では花笠を持って踊ります。
紅型と花笠が奇麗ですね。


プログラム5番、雑踊「浜千鳥」。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容です。
明治24年頃、玉城盛重によって振り付けられました。


プログラム6番、二才踊「前之浜」。
前之浜は、那覇の渡地(現在の通堂町付近)の浜のこと。
「前の浜節」「坂原口説」「与那原節」で構成されていますが、元はそれぞれ独立した演目でした。
「前の浜節」は、組踊「微行の巻」「辺戸の大主」から独立して出来た琉球舞踊です。


プログラム7番「区長挨拶」の後、プログラムにはありませんでしたが、大道芸の余興がありました。


プログラム8番、雑踊「取納奉行」。
村に来た取納奉行に、娘を差し出すまでの騒動の踊りです。


プログラム寿、二才踊「高平良万歳」。
万歳は、門付け芸能の一つで、人家の門口で芸能をして報酬を受け取る芸能・芸能者の事。
組踊「万歳敵討」から独立して出来た琉球舞踊です。
謝名の子と慶雲の兄弟は、万歳姿に変装して、敵の高平良御鎖に近づき、親の仇討ちを果たします。



プログラム10番、「獅子舞」。
ワクヤー(獅子を誘き出す役)の動きが、恰好良かったです。
ワクヤーの人に後で聞いた所、空手をやっているそうで、納得の演舞(演武?)でした。



プログラム11番、雑踊「松竹梅鶴亀」。
雑踊「松竹梅」は、明治の頃に仲毛芝居の役者・玉城盛重が歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まりです。
その後、甥の玉城盛義が鶴と亀を付け足して「松竹梅鶴亀」になりました。


プログラム12番、棒方。
まずは総巻。
棒を持った人達が、グルグル廻りながら、いろんな陣形を取ります。


総巻の後は、棒術がありました。
プログラムが終わると、棒方と獅子舞の人たちが、獅子箱を田井等アサギに運びます。

田井等アサギの横で、棒術の奉納。


田井等アサギに、獅子箱を納めます。

午後10時過ぎ、再び親川公民館に戻って来ました。

豊年祭1日目が終了しました。

午後1時から午後10時過ぎまで、田井等親川の豊年祭は素晴らしかった。
田井等・親川の人たちに感謝です。

地図をGoogleマップで表示
1日目は親川公民館、2日目は田井等公民館が主会場です。
2026年9月19日(豊年祭1日目)の様子を紹介します。
道ジュネー、獅子舞、琉球舞踊、エイサー、大道芸、棒術など盛沢山の内容でした。

旧暦8月8日のワラミキ(童神酒)御願で、豊作を神に感謝して、来年の豊作を祈願します。
昔は旧暦8月8日が豊年祭の正日でしたが、近年は旧暦8月8日に近い週末に豊年祭が2日間行われています。
午後1時頃、田井等アサギで、豊年祭の御願が始まりました。

獅子頭の入った獅子箱にも手を合わせます。

獅子箱が持ち出されました。

田井等親川の獅子頭の目には、夜光貝が埋め込まれていて、キラッと光ります。
戦前の獅子頭は、1870年代に羽地大川に移住した首里からの士族、翁長林英が製作。
現在の獅子頭は、戦後に渡久地セイコーが仕立てました。
ちなみに田井等親川の獅子は雄で、隣の名護市川上の獅子(雌)と夫婦です。
川上の操り獅子は、田井等親川と川上の子獅子ということになりますね。

田井等アサギの横では、棒術の奉納。

続いて、「長者の大主」の奉納。

若衆による琉球舞踊「かぎやで風」(「長者の大主」の一部)。

二才による琉球舞踊「上り口説」。

獅子舞の奉納。
戦前の振り付けは、親川孝一によるものです。
1923~4年頃、宜野座村松田に獅子舞を教えたそうです。
その後、宜野座、金武、並里にも舞の型が伝わりました。



獅子頭を獅子箱に納めて、親川グスクに移動。
午後2時頃、神アサギの前で獅子頭を安置して、御願。


神アサギで、唄三線の奉納。

棒術の奉納。

「長者の大主」の奉納。


「上り口説」を奉納した後、獅子舞の準備。
田井等親川の獅子舞で面白いのは、獅子頭から後ろ足まで毛皮が繋がっていること。
獅子舞の舞手は、寝袋に入るように寝転んで準備します。
下の写真を見れば、状況が分かるかな。

獅子舞の奉納。



獅子舞の後は、獅子頭を獅子箱に納めて、田井等アサギに一時保管。
一旦、休憩になりました。
午後5時、田井等公民館に集合。
田井等公民館前には、旗頭が立っていました。

午後5時半過ぎ、旗頭を軽トラに積んで、道ジュネーが始まりました。
親川公民館を目指します。

旗頭の後には、地謡、獅子舞の舞手、獅子舞のワクヤー、棒方、踊り手が続きます。



道ジュネーが公民館に到着すると、棒方の人たちが田井等アサギに向かいます。

棒方の人たちが、獅子箱を田井等アサギから親川公民館へ運びます。


午後7時頃、プログラムにはありませんでしたが、エイサーの余興が始まりました。


プログラム1番、「総踊り」。
琉球古典音楽「渡りざう」と共に、獅子舞を先頭にして、踊り手たちが舞台を廻ります。

後半の二才たちは、「作たる米節」「あやぐ節」に合わせて踊りました。

プログラム2番、「長者の大主」。
大主の祝言。

若衆(子や孫たち)の「かぎやで風」。

二才2名の口説。
ウチナー口の囃子を入れていたので凄いです。


プログラム3番、二才踊「上り口説」。
歌詞は、琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)の様子です。


プログラム祝、女踊「女花笠(本嘉手久)」。
出羽の本嘉手久節では杖、中踊りと入羽の出砂節と高袮久節では花笠を持って踊ります。
紅型と花笠が奇麗ですね。


プログラム5番、雑踊「浜千鳥」。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容です。
明治24年頃、玉城盛重によって振り付けられました。


プログラム6番、二才踊「前之浜」。
前之浜は、那覇の渡地(現在の通堂町付近)の浜のこと。
「前の浜節」「坂原口説」「与那原節」で構成されていますが、元はそれぞれ独立した演目でした。
「前の浜節」は、組踊「微行の巻」「辺戸の大主」から独立して出来た琉球舞踊です。


プログラム7番「区長挨拶」の後、プログラムにはありませんでしたが、大道芸の余興がありました。


プログラム8番、雑踊「取納奉行」。
村に来た取納奉行に、娘を差し出すまでの騒動の踊りです。


プログラム寿、二才踊「高平良万歳」。
万歳は、門付け芸能の一つで、人家の門口で芸能をして報酬を受け取る芸能・芸能者の事。
組踊「万歳敵討」から独立して出来た琉球舞踊です。
謝名の子と慶雲の兄弟は、万歳姿に変装して、敵の高平良御鎖に近づき、親の仇討ちを果たします。



プログラム10番、「獅子舞」。
ワクヤー(獅子を誘き出す役)の動きが、恰好良かったです。
ワクヤーの人に後で聞いた所、空手をやっているそうで、納得の演舞(演武?)でした。



プログラム11番、雑踊「松竹梅鶴亀」。
雑踊「松竹梅」は、明治の頃に仲毛芝居の役者・玉城盛重が歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まりです。
その後、甥の玉城盛義が鶴と亀を付け足して「松竹梅鶴亀」になりました。


プログラム12番、棒方。
まずは総巻。
棒を持った人達が、グルグル廻りながら、いろんな陣形を取ります。


総巻の後は、棒術がありました。
プログラムが終わると、棒方と獅子舞の人たちが、獅子箱を田井等アサギに運びます。

田井等アサギの横で、棒術の奉納。


田井等アサギに、獅子箱を納めます。

午後10時過ぎ、再び親川公民館に戻って来ました。

豊年祭1日目が終了しました。

午後1時から午後10時過ぎまで、田井等親川の豊年祭は素晴らしかった。
田井等・親川の人たちに感謝です。
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