宜野座村松田区の豊年祭(八月十五夜あしび) 2025
2025年10月12日、宜野座村松田区の豊年祭(八月十五夜あしび)の正日を見学。
午後2時から午前0時過ぎまで、盛沢山の内容でした。
道ジュネーから始まって、アシビナーでのスーマチ棒、野外舞台ではエイサー、琉球舞踊、劇、獅子舞、組踊(本部大主)が行われました。

宜野座村松田区では、豊年祭が旧暦8月9日(仕込み)、11日(正日)、15日(別り遊び)の3日間でした。
現在は、2年毎の旧暦8月15日に近い週末に、正日と別り遊びの2日間です。
松田区の組踊台本が1818年の筆写本の為、松田区(古知屋村)の豊年祭は、200年以上前からあったと云われています。
※1818年の写本を、首里などから入手した可能性もあります。
10月12日午後2時、松田区事務所前の駐車場で、ガーエーが始まりました。
ガーエーでは、棒を持った人達が、旗頭の周りをグルグル回ります。
(囃子)
サアー 松田若者 ヨイシイヨイシイ
サアー イチュヌ チュラサヤ ハイユエーハーラーラ サアクヌアシビヤ
サアー ウガシリ赤マチャ ヨイシイヨイシイ
サアー ウドゥイヌ チュラサヤ ハイユエーハーラーラ サアクヌアシビヤ

道ジュネーが出発しました。


獅子舞も道ジュネーに参加しています。

まずは、赤マチャー(松田森)での御願。
16世紀半ば頃、松田の主の屋敷があったと云われています。

琉球舞踊を奉納します。

赤マチャーでのガーエー。

次は、門屋(ジョーヤー)へ向かいます。
途中でのガーエー。

松田の旧家の一つ、門屋の神屋での御願。
昔は、隣に神アサギがありました。

琉球舞踊の奉納。

ここでもガーエーを行います。

休憩の後、棒術の奉納。

次は、外間屋跡にある神屋へ。

松田の旧家の一つ外間屋跡の神屋は、クニムトゥ(国元)とも呼ばれています。
1967年に旧祠が改築されて、御嶽の神(ヨミチヨノ神)、外間ヌ子、坊主御神、火の神が合祀されました。
神屋の後ろの森には、後ヌ御嶽(カナヒヤゴ嶽、神名ヨミチヨノ御イベ)があります。
神屋での御願と琉球舞踊の奉納。


神屋入口の前で、ガーエー。
下の写真で左側にあるのが、昭和25年頃、門屋から移動した神アサギです。

続いて、隣にある旧家の一つ幸地屋の神屋へ。
御願と琉球舞踊の奉納。

道ジュネーの目的地、アシビナー(遊び庭)を目指します。
途中でのガーエー。

アシビナー入り口では、頭に藁サージ(藁の鉢巻き)をした人達が出迎えていました。


午後3時半過ぎ、アシビナーでの御願。
アシビナーは、ウガシリ(御願尻)とも呼ばれています。

ガーエー。

スーマチ棒(総巻棒、渦巻棒)が始まりました。

グルグル周りながら、いろんな陣形を作ました。


午後4時過ぎに、スーマチ棒が終了して一旦休憩。
獅子頭は、アシビナーに作られた野外舞台の脇に置かれました。
遊び神として、村人の演じる奉納芸能を楽しむそうです。

午後5時、松田夢宝太鼓によるエイサーが始まりました。

午後5時半、野外舞台でのプログラムが開始。
演目1、舞方。
武を踊ることによって、座を清めます。

演目2、二才踊「瀧落し」。

演目3、長者の大主。
大主の口上(祝言)では、「獅子加那志のウトィウムチ」と言っています。
松田の豊年祭では、獅子舞が重要なんですね。
次に、孫による扇舞(かぎやで風)。

チクドゥン(筑登之)の踊りと囃子。

ペーチン(親雲上)の踊りと囃子。

演目4、雑踊「浜千鳥」。

演目5、雑踊「谷茶前」。
松田区の谷茶前では、道化役のスルガーブックイ(棕櫚を被った者)が登場するのが特徴です。

演目6、歌劇「挽物口説」。
美男子の挽物大工が、三枚目の挽物大工の助手を連れて田場村へ行く道中を歌った狂言。
地頭代のお祝いにあやかろうと云う算段です。
途中、仕事を頼みに来る美人が、美男子の挽物大工と仲良くなってしまいます。

演目7、二才踊「四季口説」。

演目8、二才踊「揚作田」。

演目9、獅子舞。
明治初期頃の初代の獅子舞は、一人で演じたと云われています。
大正13年に、宜野座文助(幸地屋)により2代目が完成しました。
この時に、羽地村田井等の獅子舞の技を習得したそうです。
平成10年に仲宗根正広(沖縄市の仏像彫師)による3代目が、現在の獅子頭です。
ちなみに、松田は雄獅子で、隣の宜野座が雌獅子。



演目10、雑踊「道づね」。

演目11、雑踊「鳩間節」。

演目12、喜歌劇「戻り駕篭」。
駕篭に乗った美人を、担ぎ手の二人が取り合います。
しかし、美人のはずの女性は…

演目13、二才踊「上り口説」。

演目14、雑踊「貫花」。

演目15、二才踊「湊くり節」。

演目16、雑踊「双葉」。(写真のファイルが無くなりました…)
演目17、雑踊「むんじゅる」。

演目18、女踊「四つ竹」。

演目19、二才踊「下り口説」。

演目20、喜劇「石仏」。
お腹を空かせた二人組の一人が、食べ物を盗ろうと石仏になりすましますが…

演目21、雑踊「花風」。

演目22、雑踊「加那ヨー天川」。

演目23、二才踊「高平良万才」。

演目24、組踊「本部大主」。
本部大主に父親の北山按司を殺された若按司が、臣下の力を借りて仇討ちをします。
組踊の内容については、後日ブログで紹介する予定です。



豊年祭(正日)の最後は、アシビナーでのガーエー。



豊年祭は、午前0時過ぎても最後まで盛り上がって最高でした。
松田区の皆さんに感謝です。

地図をGoogleマップで表示
午後2時から午前0時過ぎまで、盛沢山の内容でした。
道ジュネーから始まって、アシビナーでのスーマチ棒、野外舞台ではエイサー、琉球舞踊、劇、獅子舞、組踊(本部大主)が行われました。

宜野座村松田区では、豊年祭が旧暦8月9日(仕込み)、11日(正日)、15日(別り遊び)の3日間でした。
現在は、2年毎の旧暦8月15日に近い週末に、正日と別り遊びの2日間です。
松田区の組踊台本が1818年の筆写本の為、松田区(古知屋村)の豊年祭は、200年以上前からあったと云われています。
※1818年の写本を、首里などから入手した可能性もあります。
10月12日午後2時、松田区事務所前の駐車場で、ガーエーが始まりました。
ガーエーでは、棒を持った人達が、旗頭の周りをグルグル回ります。
(囃子)
サアー 松田若者 ヨイシイヨイシイ
サアー イチュヌ チュラサヤ ハイユエーハーラーラ サアクヌアシビヤ
サアー ウガシリ赤マチャ ヨイシイヨイシイ
サアー ウドゥイヌ チュラサヤ ハイユエーハーラーラ サアクヌアシビヤ

道ジュネーが出発しました。


獅子舞も道ジュネーに参加しています。

まずは、赤マチャー(松田森)での御願。
16世紀半ば頃、松田の主の屋敷があったと云われています。

琉球舞踊を奉納します。

赤マチャーでのガーエー。

次は、門屋(ジョーヤー)へ向かいます。
途中でのガーエー。

松田の旧家の一つ、門屋の神屋での御願。
昔は、隣に神アサギがありました。

琉球舞踊の奉納。

ここでもガーエーを行います。

休憩の後、棒術の奉納。

次は、外間屋跡にある神屋へ。

松田の旧家の一つ外間屋跡の神屋は、クニムトゥ(国元)とも呼ばれています。
1967年に旧祠が改築されて、御嶽の神(ヨミチヨノ神)、外間ヌ子、坊主御神、火の神が合祀されました。
神屋の後ろの森には、後ヌ御嶽(カナヒヤゴ嶽、神名ヨミチヨノ御イベ)があります。
神屋での御願と琉球舞踊の奉納。


神屋入口の前で、ガーエー。
下の写真で左側にあるのが、昭和25年頃、門屋から移動した神アサギです。

続いて、隣にある旧家の一つ幸地屋の神屋へ。
御願と琉球舞踊の奉納。

道ジュネーの目的地、アシビナー(遊び庭)を目指します。
途中でのガーエー。

アシビナー入り口では、頭に藁サージ(藁の鉢巻き)をした人達が出迎えていました。


午後3時半過ぎ、アシビナーでの御願。
アシビナーは、ウガシリ(御願尻)とも呼ばれています。

ガーエー。

スーマチ棒(総巻棒、渦巻棒)が始まりました。

グルグル周りながら、いろんな陣形を作ました。


午後4時過ぎに、スーマチ棒が終了して一旦休憩。
獅子頭は、アシビナーに作られた野外舞台の脇に置かれました。
遊び神として、村人の演じる奉納芸能を楽しむそうです。

午後5時、松田夢宝太鼓によるエイサーが始まりました。

午後5時半、野外舞台でのプログラムが開始。
演目1、舞方。
武を踊ることによって、座を清めます。

演目2、二才踊「瀧落し」。

演目3、長者の大主。
大主の口上(祝言)では、「獅子加那志のウトィウムチ」と言っています。
松田の豊年祭では、獅子舞が重要なんですね。
次に、孫による扇舞(かぎやで風)。

チクドゥン(筑登之)の踊りと囃子。

ペーチン(親雲上)の踊りと囃子。

演目4、雑踊「浜千鳥」。

演目5、雑踊「谷茶前」。
松田区の谷茶前では、道化役のスルガーブックイ(棕櫚を被った者)が登場するのが特徴です。

演目6、歌劇「挽物口説」。
美男子の挽物大工が、三枚目の挽物大工の助手を連れて田場村へ行く道中を歌った狂言。
地頭代のお祝いにあやかろうと云う算段です。
途中、仕事を頼みに来る美人が、美男子の挽物大工と仲良くなってしまいます。

演目7、二才踊「四季口説」。

演目8、二才踊「揚作田」。

演目9、獅子舞。
明治初期頃の初代の獅子舞は、一人で演じたと云われています。
大正13年に、宜野座文助(幸地屋)により2代目が完成しました。
この時に、羽地村田井等の獅子舞の技を習得したそうです。
平成10年に仲宗根正広(沖縄市の仏像彫師)による3代目が、現在の獅子頭です。
ちなみに、松田は雄獅子で、隣の宜野座が雌獅子。



演目10、雑踊「道づね」。

演目11、雑踊「鳩間節」。

演目12、喜歌劇「戻り駕篭」。
駕篭に乗った美人を、担ぎ手の二人が取り合います。
しかし、美人のはずの女性は…

演目13、二才踊「上り口説」。

演目14、雑踊「貫花」。

演目15、二才踊「湊くり節」。

演目16、雑踊「双葉」。(写真のファイルが無くなりました…)
演目17、雑踊「むんじゅる」。

演目18、女踊「四つ竹」。

演目19、二才踊「下り口説」。

演目20、喜劇「石仏」。
お腹を空かせた二人組の一人が、食べ物を盗ろうと石仏になりすましますが…

演目21、雑踊「花風」。

演目22、雑踊「加那ヨー天川」。

演目23、二才踊「高平良万才」。

演目24、組踊「本部大主」。
本部大主に父親の北山按司を殺された若按司が、臣下の力を借りて仇討ちをします。
組踊の内容については、後日ブログで紹介する予定です。



豊年祭(正日)の最後は、アシビナーでのガーエー。



豊年祭は、午前0時過ぎても最後まで盛り上がって最高でした。
松田区の皆さんに感謝です。
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