与那原町板良敷のヌーバレー(獅子舞とエイサー) 2026
2026年8月29日(旧暦7月17日)、与那原町板良敷の獅子舞とエイサーを見学。
集落内を獅子舞と道ジュネーした後、板良敷青年会のエイサーの道ジュネーも楽しめました。

板良敷では、毎年旧盆後の旧暦7月17日にヌーバレーが行われています。
ヌーバレーは、お盆に村に入り込んで帰らない霊(無縁仏)を追い出して祓い清める行事です。
以前は旧暦7月16日が旧盆最終日のウークイでしたが、1963年頃から旧暦7月15日がウークイに変わりました。
しかし、ヌーバレーは従来の旧暦7月17日を守っています。
板良敷の獅子舞の由来には、諸説あります。
昔伝染病が蔓延したため、村の南北に石獅子を設置して、厄除け行事のシマクサラシで祈願しました。
しかし効果が無かったので、獅子舞を作ったという説。
また別の説では、屋号メーガー(前川)の山城康源(1895年生)の三代前の人が、板良敷の掟(区長)をしている時に龕を仕立てました。
龕は、野辺送りの際に、死者を納めた棺をのせて運ぶ屋形型の輿のこと(現在の霊柩車みたいな物かな)。
その際に、龕と対になる獅子舞を作ったそうです。
板良敷の戦前の神獅子は、屋号グシチン(具志堅)の大工が製作しました。
沖縄戦で失われたので、1951年に、具志堅古助が戦後1代目の神獅子を製作。
1987年6月、小波津正雄による戦後2代目の神獅子の入魂式が行われました。
その際、戦後1代目の神獅子を焼いて供養したそうです。
8月29日の午後3時ごろ、板良敷公民館に到着。
神獅子が出されていました。

午後3時半過ぎ、獅子舞の準備が始まりました。

公民館前でポーズを取ってくれる獅子舞。


銅鑼と三線を先頭に、公民館から獅子舞の道ジュネーが出発。
まずは、板良敷ノロ殿内へ。


現在、ノロ殿内の屋敷は残っていません。
ノロ殿内の拝所前で、獅子舞が3回廻ります。


ノロ殿内を出て、集落へ。

集落内を道ジュネー。



獅子舞は、集まって来た人たちを噛みまくり。

チビッ子たちも、道ジュネーに加わりました。

板良敷区のシーサー(石獅子)。
戦前、板良敷の東西(資料によっては南北)に1対のシーサーがありました。
終戦後に道路拡張で埋められてしまったそうですが、1986年10月28日に水道工事の際に土中から片方の西(北)のシーサーを発見。
その後、現在の場所に設置されました。
獅子舞は、途中数カ所で3回廻りましたが、ここでも3回廻りました。

道ジュネーが進みます。


横断歩道を渡る獅子舞の一行。

神獅子にお酒を振る舞った後、手を合わせる人。

休憩中の獅子舞は、チビッ子たちに触られまくってました。汗


終点の公民館は、すぐそこ。

獅子舞が公民館のホールで3回廻って、道ジュネーは終了。
午後5時半ごろ、エイサーの道ジュネーが出発。
※板良敷のエイサーは、戦前から続いています。
しかし、現在の形になったのは、1972~1974年ごろに沖縄市山里のエイサーを習ってからです。

青年会の人たちが格好良いですね。



地謡の人たち。

風が強かったので、旗頭を支えるのが大変そうでした。


エイサーを最後まで見たかったですが、午後6時半過ぎに那覇へ戻りました。
獅子舞とエイサーを楽しめたので、板良敷の人たちに感謝です。

地図をGoogleマップで表示
集落内を獅子舞と道ジュネーした後、板良敷青年会のエイサーの道ジュネーも楽しめました。

板良敷では、毎年旧盆後の旧暦7月17日にヌーバレーが行われています。
ヌーバレーは、お盆に村に入り込んで帰らない霊(無縁仏)を追い出して祓い清める行事です。
以前は旧暦7月16日が旧盆最終日のウークイでしたが、1963年頃から旧暦7月15日がウークイに変わりました。
しかし、ヌーバレーは従来の旧暦7月17日を守っています。
板良敷の獅子舞の由来には、諸説あります。
昔伝染病が蔓延したため、村の南北に石獅子を設置して、厄除け行事のシマクサラシで祈願しました。
しかし効果が無かったので、獅子舞を作ったという説。
また別の説では、屋号メーガー(前川)の山城康源(1895年生)の三代前の人が、板良敷の掟(区長)をしている時に龕を仕立てました。
龕は、野辺送りの際に、死者を納めた棺をのせて運ぶ屋形型の輿のこと(現在の霊柩車みたいな物かな)。
その際に、龕と対になる獅子舞を作ったそうです。
板良敷の戦前の神獅子は、屋号グシチン(具志堅)の大工が製作しました。
沖縄戦で失われたので、1951年に、具志堅古助が戦後1代目の神獅子を製作。
1987年6月、小波津正雄による戦後2代目の神獅子の入魂式が行われました。
その際、戦後1代目の神獅子を焼いて供養したそうです。
8月29日の午後3時ごろ、板良敷公民館に到着。
神獅子が出されていました。

午後3時半過ぎ、獅子舞の準備が始まりました。

公民館前でポーズを取ってくれる獅子舞。


銅鑼と三線を先頭に、公民館から獅子舞の道ジュネーが出発。
まずは、板良敷ノロ殿内へ。


現在、ノロ殿内の屋敷は残っていません。
ノロ殿内の拝所前で、獅子舞が3回廻ります。


ノロ殿内を出て、集落へ。

集落内を道ジュネー。



獅子舞は、集まって来た人たちを噛みまくり。

チビッ子たちも、道ジュネーに加わりました。

板良敷区のシーサー(石獅子)。
戦前、板良敷の東西(資料によっては南北)に1対のシーサーがありました。
終戦後に道路拡張で埋められてしまったそうですが、1986年10月28日に水道工事の際に土中から片方の西(北)のシーサーを発見。
その後、現在の場所に設置されました。
獅子舞は、途中数カ所で3回廻りましたが、ここでも3回廻りました。

道ジュネーが進みます。


横断歩道を渡る獅子舞の一行。

神獅子にお酒を振る舞った後、手を合わせる人。

休憩中の獅子舞は、チビッ子たちに触られまくってました。汗


終点の公民館は、すぐそこ。

獅子舞が公民館のホールで3回廻って、道ジュネーは終了。
午後5時半ごろ、エイサーの道ジュネーが出発。
※板良敷のエイサーは、戦前から続いています。
しかし、現在の形になったのは、1972~1974年ごろに沖縄市山里のエイサーを習ってからです。

青年会の人たちが格好良いですね。



地謡の人たち。

風が強かったので、旗頭を支えるのが大変そうでした。


エイサーを最後まで見たかったですが、午後6時半過ぎに那覇へ戻りました。
獅子舞とエイサーを楽しめたので、板良敷の人たちに感謝です。
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