南風原町神里の獅子舞(シーサーケーラシー) 2025
2025年9月4日(旧暦7月13日)は、旧盆の1日目(ウンケー)。
南風原町神里の獅子舞の奉納(シーサーケーラシー)を見学しました。
獅子舞の道ジュネーで、神里の宗家5か所(田本、仲門、世里、新屋、野呂殿内)を御願して廻り、上野呂殿内まで獅子舞を案内。
上野呂殿内では、子供獅子舞も登場して可愛かったです。

神里の獅子舞は、約300年前に、神里で流行した天然痘を祓うために始まったと云われています。
沖縄戦後1代目の獅子頭が1948(昭和23)年、2代目が1976年に、金城栄一(新仲門)によって製作されました。
現在の神獅子は、戦後3代目(1996年製作)です。
神里の獅子舞の特徴は、額に月のマーク(雌)があること。
南風原町本部の獅子舞(雄)と夫婦とも云われています。

神里のシーサーケーラシーは、旧盆と十五夜に行われています。
今回、旧盆1日目を見学しました。
午後7時頃、神里構造改善センターで道ジュネー前の御願が始まりました。

神里構造改善センターから、道ジュネーに出発。
銅鑼を鳴らしながら、進んでいきます。


だんだんと、辺りが暗くなっていきました。



街灯があると、写真撮影には助かりますね。笑


神里の宗家(ムートゥヤー)を、順番に訪ねていきます。
獅子頭を持っているのが、区長さんです。

2番目のムートゥヤー、仲門での御願。

3番目、世里での御願。
御願の際には、獅子頭を撫でたり、お酒を付けたりします。

各家では御願後に、左回りで3回廻ります。
厄除けの意味があるようです。

4番目、新屋での御願。
獅子舞を見る目が優しいですね。


5番目、野呂殿内での御願。



旧盆1日目の最後は、上野呂殿内に獅子舞を、東向きにして安置します。

上野呂殿内では、子供獅子舞が登場。

子供たちが集まって、楽しそうでした。




沖縄の旧盆は、エイサーだけでなく獅子舞もお勧めです。

地図をGoogleマップで表示
南風原町神里の獅子舞の奉納(シーサーケーラシー)を見学しました。
獅子舞の道ジュネーで、神里の宗家5か所(田本、仲門、世里、新屋、野呂殿内)を御願して廻り、上野呂殿内まで獅子舞を案内。
上野呂殿内では、子供獅子舞も登場して可愛かったです。

神里の獅子舞は、約300年前に、神里で流行した天然痘を祓うために始まったと云われています。
沖縄戦後1代目の獅子頭が1948(昭和23)年、2代目が1976年に、金城栄一(新仲門)によって製作されました。
現在の神獅子は、戦後3代目(1996年製作)です。
神里の獅子舞の特徴は、額に月のマーク(雌)があること。
南風原町本部の獅子舞(雄)と夫婦とも云われています。

神里のシーサーケーラシーは、旧盆と十五夜に行われています。
今回、旧盆1日目を見学しました。
午後7時頃、神里構造改善センターで道ジュネー前の御願が始まりました。

神里構造改善センターから、道ジュネーに出発。
銅鑼を鳴らしながら、進んでいきます。


だんだんと、辺りが暗くなっていきました。



街灯があると、写真撮影には助かりますね。笑


神里の宗家(ムートゥヤー)を、順番に訪ねていきます。
獅子頭を持っているのが、区長さんです。

2番目のムートゥヤー、仲門での御願。

3番目、世里での御願。
御願の際には、獅子頭を撫でたり、お酒を付けたりします。

各家では御願後に、左回りで3回廻ります。
厄除けの意味があるようです。

4番目、新屋での御願。
獅子舞を見る目が優しいですね。


5番目、野呂殿内での御願。



旧盆1日目の最後は、上野呂殿内に獅子舞を、東向きにして安置します。

上野呂殿内では、子供獅子舞が登場。

子供たちが集まって、楽しそうでした。




沖縄の旧盆は、エイサーだけでなく獅子舞もお勧めです。
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