大宜味村根路銘・上原区の豊年祭 2025
2025年9月14日、大宜味村根路銘・上原区の豊年祭を見学。
道ジュネー、公民館の半野外舞台での琉球舞踊を楽しめました。
辺りが暗くなってからは、提灯がいい雰囲気でした。

※大宜味村根路銘・上原区の海神祭(ウンガミ)は、以前は、毎年旧盆後の最初の亥の日に行れていました。
また隔年で、海神祭の翌日に豊年祭も行われました。
しかし現在は、海神祭または豊年祭を、旧盆後の最初の亥の日または近い週末に、交互に開催するようになりました。
2025年は、豊年祭の年でした。
午後1時から御願が始まるという情報を得ていましたが、間に合わなかった…汗
午後4時頃、根路銘公民館(神アサギ跡地)に到着。

公民館横には、旗頭。

午後4時半頃、公民館横から道ジュネーが出発。


途中、根路銘の宮で、御願と琉球舞踊の奉納が行われました。

琉球舞踊「かぎやで風」の奉納。

続いて、琉球舞踊(若衆踊)「くて節(こてい節)」の奉納。

最後に、琉球舞踊(二才踊)「上り口説」の奉納。

通り雨がありましたが、午後6時過ぎに、公民館の半野外舞台での豊年祭がスタート。
演目1、「長者の大主」。
長者の大主一行が、舞台に登場します。

長者の大主の祝言(口上)。

大主の前で、若衆が古典舞踊「かぎやで風」を演じます。
場開きの最初の演目は、「かぎやで風」ですね。

続いて、若衆踊「くて節(こてい節)」。
この踊りも、祝いの席の定番です。

二才踊「筑登之口説」と「親雲上口説」。
踊りだけでなく、ウチナー口の囃子が入るとさらに沖縄っぽい。


演目2、二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)を歌っています。


演目3、創作舞踊「海のチンボーラ」。
チンボーラは、小さい巻貝のこと。
チビッ子達が可愛いですね。


演目4、雑踊「貫花」。
貫花は、花を糸で貫くことで、小道具の花の房のこと。
花飾りを作って、愛しい人にあげたいという内容。
明治時代に、玉城盛重が振り付けました。


演目5、二才踊「鳩間節」。
鳩間節の踊りは、元々は鳩間島の結願祭でのユッタリした踊り「鳩間中岡」でした。
沖縄本島で伊良波尹吉によって早弾きの軽快な踊りに変わり、人気の演目になりました。


演目6、根路銘・上原の両区長さんの挨拶。
演目7、若衆踊「四季口説」。
春夏秋冬の情景を歌っていて、若衆踊や二才踊に振り付けられています。
立方は、踊るだけではなく、囃子も入れるので大変ですね。


演目8、二才踊「前之浜」。
前之浜は、那覇の渡地(現在の通堂町付近)の浜のこと。
「前の浜節」「坂原口説」「与那原節」で構成されていますが、元はそれぞれ独立した演目だったようです。


演目9、雑踊「浜千鳥」。
遠い故郷に残した愛しい人を偲ぶ心情を、浜辺で仲間を呼ぶ千鳥に託して、踊りで表現しています。
明治24年頃に、玉城盛重によって振り付けられました。


演目10、二才踊「高平良万才」。
万才は、門付け芸能のこと。
組踊「万才敵討」から独立した琉球舞踊です。
兄弟(謝名の子、慶雲)が、万才を装って仇討ちをしようとする様子です。


最後の演目、雑踊「五福の舞(松竹梅鶴亀)」。
明治の頃に、玉城盛重が、歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まりです。
その後、甥の玉城盛義が、鶴と亀を付け足して現在の形になりました。
まずは、松の踊りから始まります。

続いて、竹の踊り。

梅の踊りで、松竹梅になりました。

さらに、鶴と亀の踊りが入ります。

松竹梅鶴亀による総踊り。

午後8時半過ぎ、豊年祭が終了。
会場は、こんな感じでした。

根路銘の宮も、提灯でいい感じでした。

大宜味村根路銘・上原区の豊年祭は、とても良かったです。
豊年祭を開催してくれた両区の人達に感謝です。
次は、海神祭を見学したいですね。

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道ジュネー、公民館の半野外舞台での琉球舞踊を楽しめました。
辺りが暗くなってからは、提灯がいい雰囲気でした。

※大宜味村根路銘・上原区の海神祭(ウンガミ)は、以前は、毎年旧盆後の最初の亥の日に行れていました。
また隔年で、海神祭の翌日に豊年祭も行われました。
しかし現在は、海神祭または豊年祭を、旧盆後の最初の亥の日または近い週末に、交互に開催するようになりました。
2025年は、豊年祭の年でした。
午後1時から御願が始まるという情報を得ていましたが、間に合わなかった…汗
午後4時頃、根路銘公民館(神アサギ跡地)に到着。

公民館横には、旗頭。

午後4時半頃、公民館横から道ジュネーが出発。


途中、根路銘の宮で、御願と琉球舞踊の奉納が行われました。

琉球舞踊「かぎやで風」の奉納。

続いて、琉球舞踊(若衆踊)「くて節(こてい節)」の奉納。

最後に、琉球舞踊(二才踊)「上り口説」の奉納。

通り雨がありましたが、午後6時過ぎに、公民館の半野外舞台での豊年祭がスタート。
演目1、「長者の大主」。
長者の大主一行が、舞台に登場します。

長者の大主の祝言(口上)。

大主の前で、若衆が古典舞踊「かぎやで風」を演じます。
場開きの最初の演目は、「かぎやで風」ですね。

続いて、若衆踊「くて節(こてい節)」。
この踊りも、祝いの席の定番です。

二才踊「筑登之口説」と「親雲上口説」。
踊りだけでなく、ウチナー口の囃子が入るとさらに沖縄っぽい。


演目2、二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)を歌っています。


演目3、創作舞踊「海のチンボーラ」。
チンボーラは、小さい巻貝のこと。
チビッ子達が可愛いですね。


演目4、雑踊「貫花」。
貫花は、花を糸で貫くことで、小道具の花の房のこと。
花飾りを作って、愛しい人にあげたいという内容。
明治時代に、玉城盛重が振り付けました。


演目5、二才踊「鳩間節」。
鳩間節の踊りは、元々は鳩間島の結願祭でのユッタリした踊り「鳩間中岡」でした。
沖縄本島で伊良波尹吉によって早弾きの軽快な踊りに変わり、人気の演目になりました。


演目6、根路銘・上原の両区長さんの挨拶。
演目7、若衆踊「四季口説」。
春夏秋冬の情景を歌っていて、若衆踊や二才踊に振り付けられています。
立方は、踊るだけではなく、囃子も入れるので大変ですね。


演目8、二才踊「前之浜」。
前之浜は、那覇の渡地(現在の通堂町付近)の浜のこと。
「前の浜節」「坂原口説」「与那原節」で構成されていますが、元はそれぞれ独立した演目だったようです。


演目9、雑踊「浜千鳥」。
遠い故郷に残した愛しい人を偲ぶ心情を、浜辺で仲間を呼ぶ千鳥に託して、踊りで表現しています。
明治24年頃に、玉城盛重によって振り付けられました。


演目10、二才踊「高平良万才」。
万才は、門付け芸能のこと。
組踊「万才敵討」から独立した琉球舞踊です。
兄弟(謝名の子、慶雲)が、万才を装って仇討ちをしようとする様子です。


最後の演目、雑踊「五福の舞(松竹梅鶴亀)」。
明治の頃に、玉城盛重が、歌舞伎にならって松竹梅の振付けをしたのが始まりです。
その後、甥の玉城盛義が、鶴と亀を付け足して現在の形になりました。
まずは、松の踊りから始まります。

続いて、竹の踊り。

梅の踊りで、松竹梅になりました。

さらに、鶴と亀の踊りが入ります。

松竹梅鶴亀による総踊り。

午後8時半過ぎ、豊年祭が終了。
会場は、こんな感じでした。

根路銘の宮も、提灯でいい感じでした。

大宜味村根路銘・上原区の豊年祭は、とても良かったです。
豊年祭を開催してくれた両区の人達に感謝です。
次は、海神祭を見学したいですね。
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