令和7年度 名城ハーリー
2025年5月30日(旧暦5月4日、ユッカヌヒー)、糸満市の名城ハーリーを見学しました。
名城では、ハーリーが岸に着いた後に走って、酒瓶を取るまでが勝負。
閉会式の後は、4か所のムートゥヤーを廻りました。
ハーリー歌を歌ったり、踊ったりと、ハーリーよりも盛り上がっていた気がしました。笑

午前6時過ぎ、ウフドゥンチ(大殿内、国元)での御願が始まりました。

ウフドゥンチヤマ(大殿内山)にあるクニウタキ(国御嶽)へ移動して、再び御願。

名城公民館では、ハーリーを浜へ移動していました。


午前6時半過ぎ、公民館横のトマンザ(十万座)で、再び御願。
ここからは、村の聖地イビシンのあるエージナ島を見渡すことが出来ます。

名城ハーリーでは、3つの組(後ンティー(赤)、中ンティー(紫)、前ンティー(青))で競漕します。
ここで、各組の代表者がくじ引きをして、御願ハーリーの並び順を決めます。

午前7時前、西の浜(北名城ビーチ)での御願。
エージナ島のイビシンやナカイロー、リューグンに、ハーリーの無事を祈願します。

お酒で、船を清めていました。

スルジナー(小石を結び付けた綱)を、イビシン沖の海に投げ込みます。
海の幸を手繰り寄せる意味があるそうです。
下の写真は、2019年の名城ハーリーで撮影しました。

午前8時からハーリーが始まりました。
西の浜は、堤防の無い自然の浜です。
穏やかで、美しい海ですね。


※御願ハーリーと青年ハーリーは、各組で競漕。
門中レースと年齢別ハーリーでは、各組混成によるチームになります。




名城ハーリーの特徴は、ハーリーが岸に着いた後、走って酒瓶を取るまでが勝負な点。
一番前の漕ぎ手は、着岸と同時に、船から飛び降りて酒瓶に向かって疾走します。


今年の御願ハーリーでは、中ンティー(紫)が、久ぶりに酒瓶を取って勝ちました。

招待ハーリーの勝者。


婦人チームは、太鼓や踊りの応援で会場を盛り上げてくれました。

プログラムの最後は、上がいハーリー。
御願ハーリーで勝った中ンティー(紫)を先頭に、3隻のハーリーが海をグルグル廻りました。


午前10時半過ぎにハーリーが終了して公民館戻ると、4か所のムートゥヤー(村の草分けの家)を廻ります。
個人的には、ここからがハーリー以上に盛り上がってました。
午前11時過ぎ、ウフドゥンチ(大殿内、国元)へ。
ウフドゥンチの始祖タルマサが、南山世時代に名城を拓いたと云われています。
ハーリーシンカ(漕ぎ手)達が、グルグル回りながらハーレー歌を歌いました。

エーク(櫂)を持った踊りも楽しかった。

2番目は、ウンスル(海勢頭、海元)。
ウンスルは、海に関する祭祀を担当する家筋です。
ハーレー歌の後の踊りでは、一対一のダンスバトルっぽくなってました。笑


3番目は、ワン(湾)。
ワンの当主は、ハーリーの際にイビシンの前で旗を振る役割だったそうです。


最後は、ミージ(新地)。
ミージは、名城ハーリーを創設した家筋だそうです。

ここでもダンスバトルっぽくなってました。笑

カチャーシーでは大盛り上がり!

各家では、スイカやパイナップル、ジュース、オードブルなどを沢山戴きました。
12時半頃に名城公民館に戻ってからも、ハーリー歌と踊りがありました。

この後は公民館で懇親会がありましたが、一旦昼食で抜けました。
午後2時半頃、区長さん達とエージナ島へ。
イビシンでは、生魚(刺身)を奉納して御願しました。
イビシンは、『琉球国由来記』(1713年)ではアイゲナ森(神名:潮花御イベ)、『琉球国旧記』(1731年)では揚名嶽(神名:潮花威部)と記述されています。


2つ目の拝所、竜宮神。
生魚(刺身)を奉納して御願しました。

3つ目の拝所、ナカイロー。
ナカイローは、ミージの宗家の墓(按司墓)とも云われています。
焼き魚を奉納して御願しました。


数日前までの天気予報では大雨でしたが、ハーリーの当日は快晴で助かりました。
那覇ハーリーのように大規模ではありませんが、地域密着のハーリーもお勧めです。

地図をGoogleマップで表示
名城では、ハーリーが岸に着いた後に走って、酒瓶を取るまでが勝負。
閉会式の後は、4か所のムートゥヤーを廻りました。
ハーリー歌を歌ったり、踊ったりと、ハーリーよりも盛り上がっていた気がしました。笑

午前6時過ぎ、ウフドゥンチ(大殿内、国元)での御願が始まりました。

ウフドゥンチヤマ(大殿内山)にあるクニウタキ(国御嶽)へ移動して、再び御願。

名城公民館では、ハーリーを浜へ移動していました。


午前6時半過ぎ、公民館横のトマンザ(十万座)で、再び御願。
ここからは、村の聖地イビシンのあるエージナ島を見渡すことが出来ます。

名城ハーリーでは、3つの組(後ンティー(赤)、中ンティー(紫)、前ンティー(青))で競漕します。
ここで、各組の代表者がくじ引きをして、御願ハーリーの並び順を決めます。

午前7時前、西の浜(北名城ビーチ)での御願。
エージナ島のイビシンやナカイロー、リューグンに、ハーリーの無事を祈願します。

お酒で、船を清めていました。

スルジナー(小石を結び付けた綱)を、イビシン沖の海に投げ込みます。
海の幸を手繰り寄せる意味があるそうです。
下の写真は、2019年の名城ハーリーで撮影しました。

午前8時からハーリーが始まりました。
西の浜は、堤防の無い自然の浜です。
穏やかで、美しい海ですね。


※御願ハーリーと青年ハーリーは、各組で競漕。
門中レースと年齢別ハーリーでは、各組混成によるチームになります。




名城ハーリーの特徴は、ハーリーが岸に着いた後、走って酒瓶を取るまでが勝負な点。
一番前の漕ぎ手は、着岸と同時に、船から飛び降りて酒瓶に向かって疾走します。


今年の御願ハーリーでは、中ンティー(紫)が、久ぶりに酒瓶を取って勝ちました。

招待ハーリーの勝者。


婦人チームは、太鼓や踊りの応援で会場を盛り上げてくれました。

プログラムの最後は、上がいハーリー。
御願ハーリーで勝った中ンティー(紫)を先頭に、3隻のハーリーが海をグルグル廻りました。


午前10時半過ぎにハーリーが終了して公民館戻ると、4か所のムートゥヤー(村の草分けの家)を廻ります。
個人的には、ここからがハーリー以上に盛り上がってました。
午前11時過ぎ、ウフドゥンチ(大殿内、国元)へ。
ウフドゥンチの始祖タルマサが、南山世時代に名城を拓いたと云われています。
ハーリーシンカ(漕ぎ手)達が、グルグル回りながらハーレー歌を歌いました。

エーク(櫂)を持った踊りも楽しかった。

2番目は、ウンスル(海勢頭、海元)。
ウンスルは、海に関する祭祀を担当する家筋です。
ハーレー歌の後の踊りでは、一対一のダンスバトルっぽくなってました。笑


3番目は、ワン(湾)。
ワンの当主は、ハーリーの際にイビシンの前で旗を振る役割だったそうです。


最後は、ミージ(新地)。
ミージは、名城ハーリーを創設した家筋だそうです。

ここでもダンスバトルっぽくなってました。笑

カチャーシーでは大盛り上がり!

各家では、スイカやパイナップル、ジュース、オードブルなどを沢山戴きました。
12時半頃に名城公民館に戻ってからも、ハーリー歌と踊りがありました。

この後は公民館で懇親会がありましたが、一旦昼食で抜けました。
午後2時半頃、区長さん達とエージナ島へ。
イビシンでは、生魚(刺身)を奉納して御願しました。
イビシンは、『琉球国由来記』(1713年)ではアイゲナ森(神名:潮花御イベ)、『琉球国旧記』(1731年)では揚名嶽(神名:潮花威部)と記述されています。


2つ目の拝所、竜宮神。
生魚(刺身)を奉納して御願しました。

3つ目の拝所、ナカイロー。
ナカイローは、ミージの宗家の墓(按司墓)とも云われています。
焼き魚を奉納して御願しました。


数日前までの天気予報では大雨でしたが、ハーリーの当日は快晴で助かりました。
那覇ハーリーのように大規模ではありませんが、地域密着のハーリーもお勧めです。
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