令和6年 じゅり馬まつり
2024年3月17日、那覇市辻の「じゅり馬まつり」を見学。
36年ぶりのパレードが復活して、道ジュネー(西武門~波の上通り周辺)をしました。
じゅり馬、弥勒、獅子舞(辻・波上宮)、旗頭(辻・若狭松山・久米)などで盛り沢山。
最後のカチャーシーでは、弥勒や獅子舞も乱入して、ジュリ馬のアンコールがあったり、かなりカオスで最高の盛り上がりでした。
じゅり馬祭りは、那覇ハーリー、那覇大綱挽と並ぶ那覇の3大行事の一つでした。
遊郭に入って自由に会えなくなった家族に元気な晴れ姿を見せる為、また五穀豊穣や商売繁盛によって辻が潤うことを願う為とも云われています。
首里のお姫さま(王女)が辻の遊里を開いて、じゅり馬を始めたと云うのは、沖縄芝居「花の台(副題:じゅり馬の由来記)」が元ネタのようです。
旧廿日正月神事は現在でも旧暦1月20日ですが、祭りは新暦3月の週末になりました。
じゅり馬は、日本本土の正月の門付芸能「春駒」と関連があると云われています。
沖縄に入った門付芸能(万歳)は、京太郎と呼ばれて、馬舞系の芸能が各地に残っています。
じゅり馬以外にも、読谷村高志保の馬舞、竹富島の馬乗者、沖縄市泡瀬の京太郎、宜野座村宜野座の京太郎など。
また、組踊「万歳敵討」から独立した琉球舞踊「高平良万歳」でも、謝名の子と慶雲の兄弟が、獅子頭と馬頭を持って踊ります。
※「高平良万歳」は一人で踊る事が多くなって、最近は獅子頭のみの場合が多いです。
じゅり馬では、「さいんする節(センスル節)」に合わせて、馬舞者(ウマメーサー)を唄っています。
「高平良万歳」でも「さいんする節」が使われていますが、じゅり馬の場合には速弾きになっています。
じゅり馬の歌詞については、「高平良万歳」の「万歳かふす節」と「さいんする節」に部分的に似ていて興味深いですね。
前置きが長くなりましたが、「令和6年 じゅり馬まつり」の当日の様子を紹介します。
午後1時50分頃、辻新思会前で旗頭によるカリー(嘉利)付け。
下の写真で、手前から若狭松山、久米、辻の旗頭です。
若狭松山の一番旗の旗字は、「鎮群」。
久米の旗頭には、久米東門と久米西門があります。
今回参加したのは、久米西門の二番旗で旗字「不染塵」。
辻の一番旗は、旗字「和気」。
旗頭は、長さ約7m、重さ約50kgなので、参加している人達は体がゴツいですね。
午後2時過ぎ、開催の挨拶。
後ろに、辻村(前村渠)の守り神・弥勒が座っています。
辻村(上村渠)の守り神・神獅子の演舞が行われました。
獅子舞が舞われたのは、かなり久しぶりで貴重です。
舞方が絶えてしまったので、波上宮獅子舞保存会の人が入っているそうです。
辻の村旗の入場。
旗字は「辻町」です。
村旗は、那覇大綱挽本番以外に使用する旗頭で、盆踊り、敬老慰労会、新店開店時などにも使われています。
辻の弥勒が会場を練り歩きます。
辻の神獅子も、大人気。
友情出演の波上宮の子供獅子。
※波上宮の神獅子は、1年に3回(正月2日の初舞、節分、なんみん祭)しか見ることが出来ないです。
午後2時半頃、じゅり馬の登場。
ユイユイと云いながら、クルクル回ります。
衣装が鮮やかで、映えますね。
この後、辻新思会前のメイン会場では、エイサー、ダンス、空手が行われました。
自分は、じゅり馬パレードに付いて行きました。
弥勒のお付きの子が、良い笑顔です。
神獅子も頑張ってます。
第2演舞場での、那覇市辻と波上宮の獅子舞のコラボ。
午後2時50分頃、じゅり馬行列が到着しました。
第2演舞場での、じゅり馬の演舞。
第3演舞場(波上宮前)での、辻の村旗の演舞。
神獅子は、どこでも大人気ですね。
波上宮の鳥居の前で、弥勒と獅子舞の記念撮影。
午後3時15分、第3演舞場にじゅり馬行列が来ました。
第3演舞場での、じゅり馬の演舞。
メイン会場に戻ると、旗頭の演舞が始まっていました。
午後4時頃、弥勒と神獅子の登場。
プログラム上、最後のじゅり馬の演舞。
カチャーシー。
弥勒や獅子舞も参加して、最高に盛り上がりました。
じゅり馬のアンコール。
獅子舞も乱入していました。
午後4時半過ぎ、集合写真の撮影。
人数が多すぎて、写真に旗頭の人達などが入りませんでした。汗
参加した多くの人達に感謝です。
地図をGoogleマップで表示
36年ぶりのパレードが復活して、道ジュネー(西武門~波の上通り周辺)をしました。
じゅり馬、弥勒、獅子舞(辻・波上宮)、旗頭(辻・若狭松山・久米)などで盛り沢山。
最後のカチャーシーでは、弥勒や獅子舞も乱入して、ジュリ馬のアンコールがあったり、かなりカオスで最高の盛り上がりでした。
じゅり馬祭りは、那覇ハーリー、那覇大綱挽と並ぶ那覇の3大行事の一つでした。
遊郭に入って自由に会えなくなった家族に元気な晴れ姿を見せる為、また五穀豊穣や商売繁盛によって辻が潤うことを願う為とも云われています。
首里のお姫さま(王女)が辻の遊里を開いて、じゅり馬を始めたと云うのは、沖縄芝居「花の台(副題:じゅり馬の由来記)」が元ネタのようです。
旧廿日正月神事は現在でも旧暦1月20日ですが、祭りは新暦3月の週末になりました。
じゅり馬は、日本本土の正月の門付芸能「春駒」と関連があると云われています。
沖縄に入った門付芸能(万歳)は、京太郎と呼ばれて、馬舞系の芸能が各地に残っています。
じゅり馬以外にも、読谷村高志保の馬舞、竹富島の馬乗者、沖縄市泡瀬の京太郎、宜野座村宜野座の京太郎など。
また、組踊「万歳敵討」から独立した琉球舞踊「高平良万歳」でも、謝名の子と慶雲の兄弟が、獅子頭と馬頭を持って踊ります。
※「高平良万歳」は一人で踊る事が多くなって、最近は獅子頭のみの場合が多いです。
じゅり馬では、「さいんする節(センスル節)」に合わせて、馬舞者(ウマメーサー)を唄っています。
「高平良万歳」でも「さいんする節」が使われていますが、じゅり馬の場合には速弾きになっています。
じゅり馬の歌詞については、「高平良万歳」の「万歳かふす節」と「さいんする節」に部分的に似ていて興味深いですね。
前置きが長くなりましたが、「令和6年 じゅり馬まつり」の当日の様子を紹介します。
午後1時50分頃、辻新思会前で旗頭によるカリー(嘉利)付け。
下の写真で、手前から若狭松山、久米、辻の旗頭です。
若狭松山の一番旗の旗字は、「鎮群」。
久米の旗頭には、久米東門と久米西門があります。
今回参加したのは、久米西門の二番旗で旗字「不染塵」。
辻の一番旗は、旗字「和気」。
旗頭は、長さ約7m、重さ約50kgなので、参加している人達は体がゴツいですね。
午後2時過ぎ、開催の挨拶。
後ろに、辻村(前村渠)の守り神・弥勒が座っています。
辻村(上村渠)の守り神・神獅子の演舞が行われました。
獅子舞が舞われたのは、かなり久しぶりで貴重です。
舞方が絶えてしまったので、波上宮獅子舞保存会の人が入っているそうです。
辻の村旗の入場。
旗字は「辻町」です。
村旗は、那覇大綱挽本番以外に使用する旗頭で、盆踊り、敬老慰労会、新店開店時などにも使われています。
辻の弥勒が会場を練り歩きます。
辻の神獅子も、大人気。
友情出演の波上宮の子供獅子。
※波上宮の神獅子は、1年に3回(正月2日の初舞、節分、なんみん祭)しか見ることが出来ないです。
午後2時半頃、じゅり馬の登場。
ユイユイと云いながら、クルクル回ります。
衣装が鮮やかで、映えますね。
この後、辻新思会前のメイン会場では、エイサー、ダンス、空手が行われました。
自分は、じゅり馬パレードに付いて行きました。
弥勒のお付きの子が、良い笑顔です。
神獅子も頑張ってます。
第2演舞場での、那覇市辻と波上宮の獅子舞のコラボ。
午後2時50分頃、じゅり馬行列が到着しました。
第2演舞場での、じゅり馬の演舞。
第3演舞場(波上宮前)での、辻の村旗の演舞。
神獅子は、どこでも大人気ですね。
波上宮の鳥居の前で、弥勒と獅子舞の記念撮影。
午後3時15分、第3演舞場にじゅり馬行列が来ました。
第3演舞場での、じゅり馬の演舞。
メイン会場に戻ると、旗頭の演舞が始まっていました。
午後4時頃、弥勒と神獅子の登場。
プログラム上、最後のじゅり馬の演舞。
カチャーシー。
弥勒や獅子舞も参加して、最高に盛り上がりました。
じゅり馬のアンコール。
獅子舞も乱入していました。
午後4時半過ぎ、集合写真の撮影。
人数が多すぎて、写真に旗頭の人達などが入りませんでした。汗
参加した多くの人達に感謝です。
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