竹富島の種子取祭の奉納芸能を見学しました。
種子取祭自体は9日間ですが、奉納芸能は7日目と8日目(10月から11月の庚寅と辛卯)の2日間に行われます。
今年は、11月28日と29日でした。
まずは、奉納芸能の1日目(玻座間村、東集落と西集落)の紹介をします。
奉納芸能では、琉球舞踊や狂言、組踊など多彩な民俗芸能を堪能できるのでお勧めです。
※種子取の文字からは収穫祭のように見えますが、シラ(稲を積んである所)から種子を取り出して蒔く、種子撒きの行事です。

伏山敵討@竹富島の種子取祭

奉納芸能の前日(11月27日)から竹富島に宿泊しました。
「まちなみ館」で新聞社(一般の人も参加可)などを対象にした説明会に参加。
種子取祭の説明以外にも、奉納芸能のタイムスケジュール、撮影マナー・ルール、撮影禁止場所などを教えてくれます。
また、ご祝儀を渡すと、服に付ける撮影許可証を貰えるので、撮影が目的の場合には必須だと思います。

撮影ルール・撮影禁止場所などの要約:
・世乞い・参詣などの行列では、先頭の神司を追い越さない。横切らない。
※前から撮りたい場合には、予め先回りして行列を待つ。
・庭の芸能の際には、世持御嶽の前を横切らない。また世持御嶽の前方(舞台に向かって左側の観客席)では撮影不可。
・弥勒奉安殿での「弥勒興し」は撮影禁止。
※御願後は、弥勒奉安殿の撮影可。
・世持御嶽での神司による御願の撮影禁止。
※撮影する場合には、予め許可を取る。
・舞台裏の楽屋の撮影禁止。
・舞台正面の前方は地元の生年席、舞台右側の世持御嶽の前と左横は地元の敬老席で、観光客は座れません。

奉納芸能の前日、世持御嶽では舞台の準備と踊りの練習が行われていました。

奉納芸能の前日の練習@竹富島の種子取祭

まちなみ館での最後の練習前の御願。
※例年は、まちなみ館とは違う場所だそうです。

まちなみ館での御願@竹富島の種子取祭

奉納芸能の前夜、最後の練習(シクミ、仕込み)をまちなみ館など3ヶ所で見学しました。
3つの集落で4ヶ所(例年は5ヶ所)で、ほぼ同時に行われるので、全部は見れませんでした…

奉納芸能の前日の練習@竹富島の種子取祭

奉納芸能の前日の練習@竹富島の種子取祭

奉納芸能の前日の練習@竹富島の種子取祭

奉納芸能1日目(11月28日)の午前7時頃(例年より、1時間遅れ)、世持御嶽の近くにある弥勒奉安殿で「弥勒興し」を見学しました。
竹富島の弥勒は、仲道家の先祖が弥勒の仮面を海岸で拾ったのが始まりだそうです。
仮面は与那国家、さらに大山家に譲られて、現在は弥勒奉安殿に保管されています。
弥勒興しは、与那国家と大山家の当主を中心に行われています。

御願後に、弥勒奉安殿と弥勒の面を撮影しました。

弥勒奉安殿@竹富島の種子取祭

世持御嶽で、バンヒルの願い、イバン取りの儀式を見学。
午前8時頃、世持御嶽の前の舞台での「乾鯛の儀式」。
乾鯛(かんたい)は、歓待の意味のようです。

乾鯛の儀式@竹富島の種子取祭

午前9時頃、神司の行列が、中筋村の主事宅への参詣に出発。
道歌を歌いながら進みます。
※観光客も後ろに付いて行くことが出来ます。

中筋村主事宅へ参詣@竹富島の種子取祭

中筋村の主事宅で、巻歌を歌いながらグルグル廻ってからガーリ。

中筋村主事宅@竹富島の種子取祭

中筋村主事宅@竹富島の種子取祭

観光客は参詣の儀式に参加できないので、世持御嶽に戻って一休み。
午前11時頃、神司の行列が、中筋村主事宅から世持御嶽に戻って来ました。

神司の行列@竹富島の種子取祭

迎えの女性達と一緒になって、巻歌を歌いながらグルグル廻ります。

神司の行列@竹富島の種子取祭

男女の二手に分かれて、ガーリ。

ガーリ@竹富島の種子取祭


午前11時半頃、庭の芸能が始まりました。
まず、棒術、イリク太鼓、馬乗者の演者が庭を走り抜けて、「魔払い」をします。

魔払い@竹富島の種子取祭

棒に参加する全員による一斉棒の後、個別の棒術の演技が行われました。

棒術@竹富島の種子取祭

鎌の演者の動きが良くて、多くの拍手を貰っていました。

棒術@竹富島の種子取祭

八重山といったらイリク太鼓ですね。

イリク太鼓@竹富島の種子取祭

イリク太鼓@竹富島の種子取祭

「マミドー」。
マミドーは、マー(真)ミードー(女)のことで、働き者の女性という意味です。
踊りも、鍬や鎌を持っていて、畑仕事を頑張っていますね。
元々はユンタ(古謡の一種で、労働歌のこと)や子守歌だったのを、歌詞やテンポの変更、振り付けによって奉納舞踊にしたものです。

マミドー@竹富島の種子取祭

マミドー@竹富島の種子取祭

「ジッチュ」。
ジッチュは、十人という意味です。
人頭税に苦しみながらも、十人の子供を育て上げた百姓の夫婦がいました。
模範的な行いによって、国王に拝謁することになった喜びの踊りです。
※「ジッチュ」は、「シチュ」という掛け声からという説もあります。

ジッチュ@竹富島の種子取祭

ジッチュ@竹富島の種子取祭

「真栄(マサカイ)」。
真栄は、1701年に玻座間村で生まれた人物です。
竹富島から西表島の仲間村に開拓の為に移住しました。
鍬を使って、開墾している様子なのかな?

真栄@竹富島の種子取祭

真栄@竹富島の種子取祭

種子取祭にふさわしい演目「祝い種子取」。

祝い種子取@竹富島の種子取祭

祝い種子取@竹富島の種子取祭

「腕棒(ウディボー)」は、昔は男性が行っていたそうで、腕と腕を絡ませて力比べをします。

腕棒@竹富島の種子取祭

腕棒@竹富島の種子取祭

「馬乗者」は、京太郎(チョンダラー)系統の芸能で、馬に乗って飛び跳ねる仕草の踊りです。
京太郎は、中世の京都から伝わった門付芸能が元になったと考えられています。
宜野座村の豊年祭で見た馬舞者と同じように、馬の首を腰に付けていますね。
※踊りは、竹富島の馬乗者と宜野座村の馬舞者とで、全く違います。

馬乗者@竹富島の種子取祭

馬乗者@竹富島の種子取祭

正午前、舞台での奉納芸能が始まりました。
まずは、弥勒。
弥勒は、沖縄のニライカナイ信仰と混ざり合って、海の彼方から五穀豊穣をもたらす神(来訪神)と考えられています。

弥勒@竹富島の種子取祭

弥勒でのシーザ踊り。

シーザ踊り@竹富島の種子取祭

狂言「鍛冶工」。
農具を製作する様子を表しています。
玻座間村の奉納で必ず演じられる呪狂言4番の一つです。
※呪狂言は、農耕に関係する儀礼的な狂言のこと。

狂言「鍛冶工」@竹富島の種子取祭

狂言「鍛冶工」@竹富島の種子取祭


舞踊「赤馬節」は、祝儀舞踊として座開きに踊られます。
石垣島の赤馬の伝説は有名なので、割愛します。

赤馬節@竹富島の種子取祭

赤馬節@竹富島の種子取祭

舞踊「早口説」。

早口説@竹富島の種子取祭

早口説@竹富島の種子取祭

舞踊「しきた盆」は、「シキタ盆節」「ウフダイ節」「マヘラチ節(ウヤマシ節)」から成っていて、別々の時代に作られた歌が追加されていったようです。
最初の「シキタ盆節」では、竹富島を石垣島の前に置かれた盆の様な島。
2番めの歌「ウフダイ節」では、竹富島出身の西塘(八重山最初の頭役人・竹富大首里大屋子になった人物)が歌われています。

しきた盆@竹富島の種子取祭

しきた盆@竹富島の種子取祭

狂言「組頭」。
竹富島では昔、一番組から三番組まであって、組の責任者を組頭と呼んだようです。
狂言「鍛冶工」で農具を作り、狂言「組頭」では農具を使って畑の整地をしています。
玻座間村の奉納で必ず演じられる呪狂言4番の一つです。

組頭@竹富島の種子取祭

組頭@竹富島の種子取祭

舞踊「真栄節」。
真栄は、1701年に玻座間村で生まれた人物で、竹富島から西表島の仲間村に開拓の為に移住しました。
竹富島に残した妻子を思う心情を謡っています。
真栄ユンタに三線の伴奏を付けて節歌化したのが、真栄節です。

真栄節@竹富島の種子取祭

真栄節@竹富島の種子取祭

舞踊「元たらくじ」。
タラ(太郎)クジ(叔父)の意味です。
ある日、タラクジの姪カマドは、井戸に首飾りを置き忘れます。
首飾りを見つけたタラクジは、恋人に貰った首飾りだと得意げに言いふらします。
その後、首飾りの持ち主がカマドだと分かって、叔父と姪が恋仲という噂が広がり、カマドは不幸になってしまった悲しい物語です。

元たらくじ@竹富島の種子取祭

元たらくじ@竹富島の種子取祭

狂言「世持」。
世持は、村の責任者のことです。
狂言「組頭」で農具を使って畑の整地をした後、狂言「世持」では種子を撒きます。
玻座間村の奉納で必ず演じられる呪狂言4番の一つです。

世持@竹富島の種子取祭

世持@竹富島の種子取祭

舞踊「八重山下る口説」。
二才踊「下り口説」では鹿児島から那覇への旅路ですが、「八重山下る口説」では沖縄から八重山への道行を歌っています。

八重山下る口説@竹富島の種子取祭

八重山下る口説@竹富島の種子取祭

舞踊「祝種子取」。

祝種子取@竹富島の種子取祭

祝種子取@竹富島の種子取祭

狂言「世曳き」。
竹富島の豪農だった大山家の御主前が、竹富島の神様と与人役人に、豊作の報告と位階「勢頭座敷」を戴いたお礼を申し上げています。
玻座間村の奉納で必ず演じられる呪狂言4番の一つです。

世曳き@竹富島の種子取祭

世曳き@竹富島の種子取祭

舞踊「種子取節」。
種を撒いて、作物が実るのを願った歌です。

種子取節@竹富島の種子取祭

種子取節@竹富島の種子取祭

舞踊「赤またー節」。
赤またーは、豊年祭に登場する来訪神「赤マタ」のことです。
首里王府は、八重山を統治する際に「赤マタ黒マタ」のような習俗を禁止しました。
豊年祭をする島の人々が、役人に古い習慣だからと豊年祭の許しを請う歌です。

赤またー節@竹富島の種子取祭

赤またー節@竹富島の種子取祭

舞踊「安里屋」。
竹富島の安里屋のクマヤが、当時の役人からの誘いを断ったことが歌われています。
古謡「安里屋ユンタ」に三線の伴奏が付いて節歌化したのが「安里屋ユンタ節」「安里屋節」です。
島によって歌詞のバリエーションがあるので、いつか比べてみたいですね。
また竹富島には、歌謡劇の「安里屋」もあるので、見てみたいですね。
※良く知られている新安里屋ユンタ(作詞・星克、編曲・宮良長包)とは異なります。

安里屋@竹富島の種子取祭

安里屋@竹富島の種子取祭

組踊「伏山敵討」。
棚原の若按司と富盛大主が、敵役の天願の按司達を討ち取る物語です。
天願の按司が、異様に強くて面白かった。
会場は爆笑で、普通の組踊ではあり得ない盛り上がりでした。

伏山敵討@竹富島の種子取祭

伏山敵討@竹富島の種子取祭


舞踊「夜雨節」。
沖縄本島の豊年祭の定番「松竹梅鶴亀」の中で使われている曲です。
しかし沖縄本島と八重山では、歌詞が違うみたいなので、調べてみたいですね。

夜雨節@竹富島の種子取祭

夜雨節@竹富島の種子取祭

舞踊「竹富口説」。
黒島口説の竹富島版なのかな?

竹富口説@竹富島の種子取祭

竹富口説@竹富島の種子取祭

竹富島の「曽我兄弟」は、幸若舞曲の「夜討曽我」と関係が深い演目で、無声映画から取り入れられたようです。
兄の曽我十郎祐成と弟の北条五郎時宗が、父親の仇・工藤左衛門尉祐経を討つ物語です。

曽我兄弟@竹富島の種子取祭

曽我兄弟@竹富島の種子取祭


午後5時頃に舞台の奉納芸能が終わりました。
その後、世持御嶽では、イバンカミの儀式が行われました。
イバン(九年母)の葉を戴く儀式で、長老の人達のみが葉を貰える感じです。

午後5時20分頃、世乞い(ユークイ)に出発。
※世乞いは人数が多い程良いので、観光客も参加できますが、白いサジ(手拭い)が必要です。
(会場でサジと世乞い唄の本のセットが販売されています。)

世乞い@竹富島の種子取祭

まずは、道歌を歌いながら、根原金殿を祀る根原屋へ。
種子取祭を戊子の日に定めたネハラカンドの子孫の家です。
根原屋に到着すると、巻歌を歌いながらグルグル廻りまりました。
その後男女の二手に分かれて「しきどうよう」を歌い、最後にガーリ。

世乞い@竹富島の種子取祭

根原屋での御願。
ピンタコ(ニンニクとタコの酢漬け)を戴きました。

世乞い@竹富島の種子取祭

午後6時過ぎ、東集落、西集落、中筋村の三つに分かれて、世乞いに出発。
自分は、中筋村に付いて行きました。
各家では、塩、お神酒、ピンタコ(ニンニクとタコの酢漬け)を戴きました。

世乞い@竹富島の種子取祭

世乞い@竹富島の種子取祭

世乞い@竹富島の種子取祭

以前は夜を徹して世乞いをしたそうですが、最近は午前0時には終わるそうです。
自分は、午後11時前に宿に戻りました。
種子取祭の奉納芸能の1日目は、長かったです。汗

竹富島の種子取祭(奉納芸能1日目、玻座間村)の地図
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