今日の那覇は、曇りがちだけど穏やかな天気。
南風原町字兼城にある2つの石獅子を見に行ってきました。
字兼城の石獅子には、2つの言い伝えがあるので、前から気になっていました。

まずは、東にある「字兼城の石獅子」。
かなり風化が進んでいて、覗き込まないと顔がよく分かりません。汗
ちょっと怖いですね。
那覇市上間を睨んでいて、上間への「ケーシ(返し)」として置かれたそうです。
現在、南風原町指定有形民俗文化財に登録されています。

南風原町字兼城の石獅子

全体は、こんな感じ。
向かって右側が頭ですが、分かるかな?

南風原町字兼城の石獅子

兼城には、昔は東西で2つの石獅子がありましたが、東の石獅子は沖縄戦で消失。
しかし、戦後、同じ場所に陶器製のシーサーが設置され、平成21年には石獅子が復元されました。

南風原町字兼城の石獅子

南風原町字兼城の石獅子

沖縄本島南部には石獅子が沢山ありますが、多くは東風平にある八重瀬(昔は火山として恐れられていた)への「ケーシ(返し)」で設置されるので、八重瀬に睨みを効かせています。
しかし、字兼城の石獅子は上間を向いていることから珍しいです。
言い伝えによると、昔、上間には3つの「チチ石(力石)」あったそうです。
兼城の若者が上間に遊びに行くと、上間の人から、チチ石を3つとも持ち上げられたら兼城に持ち帰っていいと言われたそうです。
成功した兼城の若者が約束通りチチ石を持ち帰ると、上間の人達は怒って兼城に対して様々な嫌がらせをしたそうです。
それに対抗する「ケーシ(返し)」として、石獅子を上間に置くようになったそうです。
(興味のある人は、記事最後にある参考資料を読んでください。)

兼城公民館前には、現在も、チチ石が置かれています。

南風原町字兼城のチチ石(力石)

字兼城の石獅子には、もう一つ言い伝えがあります。
昔、兼城にはジャー(蛇、龍蛇)と獅子がいて、長い間喧嘩をしていたそうです。
最終的にジャーが勝利して、ジャーは雨を降らす良い神とされました。
一方、負けた獅子は2つに分断され、獅子の頭部分は西の石獅子、胴体部分は東の石獅子になったそうです。
(興味のある人は、記事最後にある参考資料を読んでください。)
去年、兼城の綱引を見学しましたが、火を噴く龍には、こんな理由があったんですね。

火を噴くジャー(龍蛇)@南風原町兼城の綱引き

旗頭@南風原町兼城の綱引き

続いて、南風原町字本部と字照屋の石獅子を見に行きました。
南風原町は、奥が深いです。

石獅子の言い伝えの参考資料:
南風原文化センター紀要「南風の杜」第10号』(南風原文化センター)
pp.60-62 「南風原町の石獅子に関する由来・伝説について 比嘉佑」

南風原町字兼城の石獅子の地図
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