沖縄が本土に復帰したのは、1972(昭和47)年5月15日です。
それよりも前の1966年12月17日、那覇市天久に通年営業の屋内アイススケート場「沖縄アイス・スケートリンク」(資料によっては沖縄アイス・スケートセンターなど)がオープンしました。
1968年1月の第23回国体冬季大会のスケート競技(北海道帯広市)に、沖縄の選手がフィギュアスケートに初出場しました。
現在までの国体(国スポ)冬季大会について、フィギュアスケートで合計15回(1968年から1988年)、アイスホッケーで合計26回(1985年から2026年)、南国の沖縄から参加していたのは驚きです。
【沖縄県のアイススケート競技年表】を作成したので、ぜひご覧ください。

『琉球新報』1966.12.18朝刊6面「沖縄初のアイススケートリンク落成 きょう大川選手ら模範演技」
『琉球新報』1966.12.18朝刊6面

「沖縄アイス・スケートリンク」を開業した岸本一夫は、絨毯・家具専門店の「岸本一夫商会」を経営していました。
政府道1号線沿いにある西洋風の青い三角屋根の「岸本一夫商会」の建物は、当時は有名だったようです。

『琉球新報』1966.3.20朝刊11面 岸本一夫商会の広告
『琉球新報』1966.3.20朝刊11面
「岸本一夫商会」の後ろの空き地に、アイススケート場が増築されました。
当時の新聞に岸本さんの思いが載っています。

『沖縄タイムス』1966.12.16朝刊8面「屋内スポーツの花形 アイス・スケート場お目見え」
『沖縄タイムス』1966.12.16朝刊8面 「岸本さんがアイス・スケートリンクの経営を思いついたのは大人の遊び場は多いが子どもたちも自由に遊べる健全なスポーツが少ないことを痛感、まだ他人のやらないところに目をつけてスケート場を思い立った。初めはボーリング場をつくる予定だったそうだが、乱立気味のために断念、五年前から夢みていたアイス・リンクを実現することになった。」

アイススケート場は一周120mで、一度に約740人を収容可能。
入場料は、大人90セント、学生80セント、子ども70セント(1時間)。
リンク開きには、当時の日本フィギュアスケート界を代表する3選手(小塚嗣彦(早大2年、全日本選手権保持者、世界選手権者)・福原美和(早大4年、連続5年全日本選手権保持者、64年度冬季オリンピック第4位)・大川久美子(関大3年、全日本選手権1位、64年度冬季オリンピック出場))が、文教局の招きで来沖しました。
当初はオープン当日1966年12月17日に模範演技をする予定でしたが、氷の状態が悪く、翌日に延期されました。

1967年9月11日、沖縄スケート連盟が発足して、会長には琉球政府行政副主席の小渡三郎が就任。
同月15日には、第1回アイススケート大会が開催されています。
同年12月12日、日本スケート連盟の理事会で沖縄スケート連盟の加盟が決定。
上京中だった沖縄スケート連盟の横田昭幸理事と岸本一夫顧問が、翌年の国体冬季大会への初参加について、日本スケート連盟から了解を得ました。

『琉球新報』1968.1.12朝刊4面「沖縄スケート連盟 小渡団長ら10人 冬季国体フィギュアに派遣」
『琉球新報』1968.1.12朝刊4面
『琉球新報』1968.1.25朝刊4面「きょう開幕 国体スケート」
『琉球新報』1968.1.25朝刊4面
1969年8月、アイススケート場の経営者が変わり、「国際アイススケート」として再スタートしました。
※「国際アイススケート」の閉鎖の正確な時期は不明ですが、新聞記事によると1981年5月頃のようです。

沖縄でのアイスホッケーは、1970年5月に始まりました。
コーチ役は、東京の品川リンクで5年間指導員を勤めて帰沖した砂川隆禧(喫茶店・ファンタジア支配人)と沖縄スケート連盟理事長の宮城勇。
1970年5月17日、沖縄スケート連盟アイスホッケークラブが発足しました。
1981年5月15日、沖縄県スケート連盟から独立して、沖縄県アイスホッケー連盟が発足。
翌月2日、沖縄県アイスホッケー連盟が沖縄県体育協会に加盟。
1985年1月の第40回国体冬季大会(青森県八戸市)で、沖縄からアイスホッケーに初出場しました。
※以降の国体参加については、下の【沖縄県のアイススケート競技年表】をご覧ください。

『琉球新報』1970.7.21朝刊6面「南の国でアイスホッケー ただいま練習中」
『琉球新報』1970.7.21朝刊6面
「国際アイススケート」の閉鎖後の沖縄県内でのアイススケート場について。
1991年2月22日 おきなわ温泉ファミリーパーク内オキナワドーム(沖縄市古謝)オープン ※閉鎖時期不明
1997年2月22日 スポーツワールド・サザンヒル内アイススケート場(南風原町宮平)オープン

【沖縄県のアイススケート競技年表】
・1966.12.17 沖縄アイススケートリンク(那覇市、社長・岸本一夫)オープン
・1966.12.18 模範演技(福原美和、大川久美子、小塚嗣彦)@沖縄アイススケートリンク
・1967.9.11 沖縄アイススケート連盟発足(会長・琉球政府副主席小渡三郎)
・1967.9.15 第一回アイススケート大会@沖縄アイススケートリンク
・1967.12.12 沖縄スケート連盟 日本スケート連盟加盟
・1968.1.25-28 第23回国体冬季大会(北海道)フィギュアスケート初出場
・1969.1.25 沖縄スケート連盟 沖縄体育協会加盟
・1969.8.26 国際アイススケート(那覇市、旧沖縄アイススケートリンク)オープン
・1970.5.17 沖縄スケート連盟アイスホッケークラブ発足
・1972.1.6-9 第27回国体冬季大会(栃木県)フィギュアスケート出場
・1973.1.25-28 第28回国体冬季大会(岩手県)フィギュアスケート出場
・1974.1.24-27 第29回国体冬季大会(北海道)フィギュアスケート出場
・1975.2.5-8 第30回国体冬季大会(山梨県)フィギュアスケート出場
・1977.1.22-25 第32回国体冬季大会(青森県)フィギュアスケート出場
・1978.1.22-25 第33回国体冬季大会(長野県)フィギュアスケート出場
・1979.1.25-28 第34回国体冬季大会(岩手県・秋田県)フィギュアスケート出場
・1980.1.26-29 第35回国体冬季大会(北海道)フィギュアスケート出場
・1981.1.26-29 第36回国体冬季大会(山梨県)フィギュアスケート出場
・1981.5.15 沖縄県アイスホッケー連盟発足(会長・玉城律志)
・1981.5頃 国際アイススケート(那覇市)閉鎖
・1981.6.2 沖縄県アイスホッケー連盟 沖縄県体育協会加盟
・1984.1.28-31 第39回国体冬季大会(北海道)フィギュアスケート出場
・1985.1.29-2.1 第40回国体冬季大会(青森県)フィギュアスケート出場 アイスホッケー初出場
・1986.1.28-31 第41回国体冬季大会(山梨県)フィギュアスケート出場 アイスホッケー出場
・1987.1.27-30 第42回国体冬季大会(長野県)フィギュアスケート出場
・第42回国体後、沖縄県スケート連盟解散※時期不明
・1988.1.27-30 第43回国体冬季大会(群馬県)フィギュアスケート出場、アイスホッケー出場
・1991.2.22 沖縄温泉ファミリーパーク内アイススケートリンク(沖縄市)オープン※閉鎖時期不明
・1995.1.28-31 第50回国体冬季大会(福島県)アイスホッケー参加
・1997.2.22 スポーツワールド・サザンヒル内アイススケートリンク(南風原町)オープン
・2000.1.29-2.2 第55回国体冬季大会(青森県)アイスホッケー参加
・2005.2.2-6 第60回国体冬季大会(東京都)アイスホッケー参加
以降、2012年を除く毎年、国体(国スポ)にアイスホッケー参加
参考資料:
『沖縄県体育協会史』(沖縄県体育協会史編集委員会/編 沖縄県体育協会 1995.3)
p.407「沖縄県アイスホッケー連盟」

『朝日新聞』
・1981.1.27朝刊19面「沖縄から7回目の“挑戦” フィギュア兼島選手」

『沖縄タイムス』
・1966.12.16朝刊8面「屋内スポーツの花形 アイス・スケート場お目見え」
・1979.1.26朝刊9面「国体スケート開幕 各県から二千人が参加」
・2005.1.1朝刊77面「[PEOPLE2005] 南部 巣立ち見守り」

『琉球新報』
・1966.3.20朝刊11面 岸本一夫商会の広告
・1966.12.2朝刊4面「南国沖縄にアイススケート 初のリンクおめ見え 17日に盛大な開場開き」
・1966.12.18朝刊6面「沖縄初のアイススケートリンク落成 きょう大川選手ら模範演技」
・1967.9.12朝刊4面「スケート連盟発足 国体にも選手派遣 会長に小渡副主席」
・1967.9.17朝刊6面「アイススケート初優勝者決まる」
・1967.12.15朝刊4面「スケート 冬季国体に初参加」
・1968.1.12朝刊4面「沖縄スケート連盟 小渡団長ら10人 冬季国体フィギュアに派遣」
・1968.1.25朝刊4面「きょう開幕 国体スケート」
・1969.1.26朝刊4面「来月コーチ研修会 沖縄体協 今年度事業計画決める」
・1969.8.30朝刊2面 国際アイススケートの広告
・1970.7.21朝刊6面「南の国でアイスホッケー ただいま練習中」
・1972.1.7朝刊6面「冬季国体(スケート競技)幕開く 日光 沖縄から四人が出場」
・1973.1.26朝刊8面「小雨の中で開会式 冬季国体 県代表、トップで入場行進」
・1974.2.8朝刊7面「札幌冬季国体に参加して 大城武則県選手団監督」
・1975.2.10朝刊7面「沖縄成年男子団体で24位 国体冬季大会スケート競技会」
・1977.1.13朝刊6面「スケート県代表に兼島、喜久山 国体冬季大会」
・1978.1.26朝刊7面「兼島31位に 成年男子フィギュア」
・1980.1.23朝刊8面「兼島選手らが結団式 国体冬季スケート」
・1981.5.17朝刊9面「連盟県アイスホッケーが発足 会長に玉城氏 底辺の拡大を目ざす」
・1981.6.10朝刊7面「大里会長を再任 県体育協会理事長に玉城幸男氏」
・1982.1.29朝刊10面「沖縄出身選手が活躍 国体の福岡チーム アイスホッケー成年で」
→「昨年は、那覇市内唯一のリンクが閉鎖されて練習ができなくなり」の記述有。
・1984.1.25朝刊11面「がんばれ!兼島選手 冬季国体フィギュアで結団式」
・1985.1.26朝刊12面「冬季国体へ初出場 アイスホッケー・スケート 県選手団が結団式」
・1985.2.27朝刊11面「はばたけ女子スポーツ 9 フィギュアスケート」
→「五十六年春に那覇市天久のアイススケート場が閉鎖されてから」の記述有。
・1986.1.22朝刊11面「海邦国体へのステップに 県選手団が結団式 冬季国体」
・1987.1.14夕刊3面「氷と雪に挑む南の選手たち」
→「五十六年五月の天久スケートリンクの閉鎖」の記述有。
・1987.1.29朝刊18面「兼島28位に浮上 冬季国体フィギュア きょう自由演技」
・1988.1.27朝刊13面「スケート国体きょう開幕」
・1991.2.28朝刊12面 沖縄温泉ファミリーパークの広告
・1995.1.25朝刊16面「冬季国体県選手団結団式 スキー、ホッケー寒い地での健闘期待」
・1997.2.21朝刊9面 スポーツワールド・サザンヒルの広告
・2000.1.30朝刊21面「富山に敗れる アイスホッケー県選抜 冬季国体開幕」
・2005.2.3朝刊17面「沖縄、1回戦敗退/アイスホッケー」