うるま市の屋慶名大綱引き 2024
2024年7月20日(旧暦6月15日)と21日、うるま市の「屋慶名大綱引き」を見学。
旧暦6月15日は6月ウマチーで、稲の収穫祭です。
道ジュネーでは東西それぞれの綱の上に、2人の大若衆(ウフワカスー)と大勢の小若衆(クーワカスー)が乗りました。
21日は日曜日だったので、東と西の小若衆は、それぞれ35人と30人!驚
他に大迫力のヤーサイモー、綱引きと見所が満載でした。
1960年のチリ大津波以降、屋慶名大綱引きは不定期の開催になったので、ブログの最後に新聞記事で調査した開催日を載せました。
動画「道ジュネー@屋慶名大綱引き 2024」
動画「ヤーサイモー・綱寄せ・綱引き@屋慶名大綱引き2024」
7月20日と21日の午後3時半過ぎ、屋慶名自治会の近くにある村火の神(村ヒヌカン)での御願が始まりました。
次に、初日は「又吉の神屋」で御願を行いました。
※屋慶名を東西に分ける屋慶名川の東側。
2日目の2番目の御願は、「仲村の神屋」でした。
※屋慶名川の西側。
神屋での御願が終わると、屋慶名川に架かるカーラ橋を目指します。
東の旗頭と大若衆の一行は、又吉の神屋の前から出発。
西の旗頭と大若衆の一行は、仲村の神屋の前から出発。
カーラ橋で、東西の旗頭のガーエーが始まりました。
今年から綱引きの会場が変更になり、グランド通りに移動。
グランド通りでは、綱に小若衆が掴まる槍の準備中でした。
槍には、キラキラ光る飾り等が付いていました。
槍の飾りは、子供が乗る時の目印にもなっているようです。
準備に時間が掛かっていて、両日ともに開会式の予定時間(午後4時)から40分以上遅れました。汗
下の写真は、準備の終わった綱。
開会式では、棒術と空手で場を清めます。
休憩の後、東西の子供の道ジュネーと応援合戦。
婦人会の踊りも、場を盛り上げます。
気勢を上げる東西の担ぎ手達。
綱が宙を舞います。
東西の旗頭のガーエー。
午後5時半過ぎ、綱を担いだ道ジュネーが始まりました。
東西それぞれの綱の上には、先頭に2人の大若衆、後ろには大勢の小若衆が乗っています。
まずは東の道ジュネー。
西の道ジュネー。
綱の上の小若衆。
午後6時頃、東西の男性によるヤーサイモー(押し合い合戦)が開始。
水がバンバン掛けられるので、カメラが結構濡れました…
2日目は、屋慶名自治会長も参加していました。笑
午後6時半頃、綱寄せが始まりました。
東の綱(雌綱)を、西の綱(雄綱)に被せるように持っていきます。
すぐに小競り合いが勃発。
東西の綱を結ぶカヌチ棒が入る位置、綱の継ぎ方で優劣があるそうで、何回もやり直し。
ウチナー口で遣り合っているので、意味は分からなかったけど面白かったです。
30分位揉めた後、カヌチ棒が入りました。
屋慶名の綱引きは一回勝負。
特徴は、東西が交互に引き合う所です。
結果は、初日は西、2日目は東の勝利でした。
下の写真は、勝った東の人達。
那覇から屋慶名は遠かったけど、大満足でした。
屋慶名大綱引きは、必見ですね。
1960年5月のチリ大津波で、屋慶名集落の水田が破壊されました。
藁の確保が難しくなった為、屋慶名大綱引きは、不定期開催となりました。
以下が、新聞記事の調査による、1960年以降の開催日です。
1961.8.5-6
1969.8.9-10
1970.7.25-26
1972.8.5-6
1976.7.11-12
1978.7.22-23
1980.7.26-27
1981.7.18-19
1983.7.30-31
1984.7.21-22
1985.8.3-4
1989.7.29-30
2001.8.4-5
2008.7.19-20
2012.8.11-12
2015.8.1-2
2018.8.4-5
2024.7.20-21(今回見学)
新聞記事一覧:
『琉球新報 1961.8.6』
夕刊3面「アッ気なく東が勝つ 与那城の綱引きにぎわう」
『琉球新報 1969.8.10』
朝刊10面「屋慶名大綱引きにぎわう」
『琉球新報 1970.7.27』
朝刊8面「区民総出でワッショイ 屋慶名の綱引きにぎわう」
『琉球新報 19972.8.7』
朝刊8面「見物人でにぎわう 恒例の屋慶名大綱引き」
『琉球新報 1976.7.12』
夕刊3面「4年ぶりに復活 与那城村の大綱引き」
『琉球新報 1978.7.23』
朝刊11面「はと笛」
『琉球新報 1980.7.27』
朝刊15面「伝統の大綱引きに3千人 屋慶名、きょうも」
『琉球新報 1981.7.19』
朝刊15面「盛大に大綱引き 与那城村屋慶名」
『琉球新報 1983.8.1』
朝刊16面「屋慶名 東組が勝利 綱引き、カチャーシーでフィーバー」
『琉球新報 1984.7.22』
朝刊1面「勇壮 屋慶名大綱引き」
『琉球新報 1985.8.8』
朝刊13面「勇壮 2つの大綱引き 与那城村屋慶名 宜野湾市大山「伝統」に人の山」
『琉球新報 1989.8.3』
朝刊25面「熱気に満つ伝統の大綱 与那城村屋慶名区」
『琉球新報 2001.8.5』
朝刊25面「大綱 12年ぶり復活 与那城町屋慶名」
『琉球新報 2008.7.24』
朝刊20面「屋慶名大綱引き 7年ぶり復活」
『琉球新報 2012.8.18』
24面「綱引きで繁栄祈願 4年ぶり「オーエイ」うるま市屋慶名」
『琉球新報 2015.8.6』
30面「屋慶名綱引き熱く」
『沖縄タイムス 2018.8.15』
20面「伝統の熱気 地域に活気 屋慶名で大綱引き」
地図をGoogleマップで表示
旧暦6月15日は6月ウマチーで、稲の収穫祭です。
道ジュネーでは東西それぞれの綱の上に、2人の大若衆(ウフワカスー)と大勢の小若衆(クーワカスー)が乗りました。
21日は日曜日だったので、東と西の小若衆は、それぞれ35人と30人!驚
他に大迫力のヤーサイモー、綱引きと見所が満載でした。
1960年のチリ大津波以降、屋慶名大綱引きは不定期の開催になったので、ブログの最後に新聞記事で調査した開催日を載せました。
7月20日と21日の午後3時半過ぎ、屋慶名自治会の近くにある村火の神(村ヒヌカン)での御願が始まりました。
次に、初日は「又吉の神屋」で御願を行いました。
※屋慶名を東西に分ける屋慶名川の東側。
2日目の2番目の御願は、「仲村の神屋」でした。
※屋慶名川の西側。
神屋での御願が終わると、屋慶名川に架かるカーラ橋を目指します。
東の旗頭と大若衆の一行は、又吉の神屋の前から出発。
西の旗頭と大若衆の一行は、仲村の神屋の前から出発。
カーラ橋で、東西の旗頭のガーエーが始まりました。
今年から綱引きの会場が変更になり、グランド通りに移動。
グランド通りでは、綱に小若衆が掴まる槍の準備中でした。
槍には、キラキラ光る飾り等が付いていました。
槍の飾りは、子供が乗る時の目印にもなっているようです。
準備に時間が掛かっていて、両日ともに開会式の予定時間(午後4時)から40分以上遅れました。汗
下の写真は、準備の終わった綱。
開会式では、棒術と空手で場を清めます。
休憩の後、東西の子供の道ジュネーと応援合戦。
婦人会の踊りも、場を盛り上げます。
気勢を上げる東西の担ぎ手達。
綱が宙を舞います。
東西の旗頭のガーエー。
午後5時半過ぎ、綱を担いだ道ジュネーが始まりました。
東西それぞれの綱の上には、先頭に2人の大若衆、後ろには大勢の小若衆が乗っています。
まずは東の道ジュネー。
西の道ジュネー。
綱の上の小若衆。
午後6時頃、東西の男性によるヤーサイモー(押し合い合戦)が開始。
水がバンバン掛けられるので、カメラが結構濡れました…
2日目は、屋慶名自治会長も参加していました。笑
午後6時半頃、綱寄せが始まりました。
東の綱(雌綱)を、西の綱(雄綱)に被せるように持っていきます。
すぐに小競り合いが勃発。
東西の綱を結ぶカヌチ棒が入る位置、綱の継ぎ方で優劣があるそうで、何回もやり直し。
ウチナー口で遣り合っているので、意味は分からなかったけど面白かったです。
30分位揉めた後、カヌチ棒が入りました。
屋慶名の綱引きは一回勝負。
特徴は、東西が交互に引き合う所です。
結果は、初日は西、2日目は東の勝利でした。
下の写真は、勝った東の人達。
那覇から屋慶名は遠かったけど、大満足でした。
屋慶名大綱引きは、必見ですね。
1960年5月のチリ大津波で、屋慶名集落の水田が破壊されました。
藁の確保が難しくなった為、屋慶名大綱引きは、不定期開催となりました。
以下が、新聞記事の調査による、1960年以降の開催日です。
1961.8.5-6
1969.8.9-10
1970.7.25-26
1972.8.5-6
1976.7.11-12
1978.7.22-23
1980.7.26-27
1981.7.18-19
1983.7.30-31
1984.7.21-22
1985.8.3-4
1989.7.29-30
2001.8.4-5
2008.7.19-20
2012.8.11-12
2015.8.1-2
2018.8.4-5
2024.7.20-21(今回見学)
新聞記事一覧:
『琉球新報 1961.8.6』
夕刊3面「アッ気なく東が勝つ 与那城の綱引きにぎわう」
『琉球新報 1969.8.10』
朝刊10面「屋慶名大綱引きにぎわう」
『琉球新報 1970.7.27』
朝刊8面「区民総出でワッショイ 屋慶名の綱引きにぎわう」
『琉球新報 19972.8.7』
朝刊8面「見物人でにぎわう 恒例の屋慶名大綱引き」
『琉球新報 1976.7.12』
夕刊3面「4年ぶりに復活 与那城村の大綱引き」
『琉球新報 1978.7.23』
朝刊11面「はと笛」
『琉球新報 1980.7.27』
朝刊15面「伝統の大綱引きに3千人 屋慶名、きょうも」
『琉球新報 1981.7.19』
朝刊15面「盛大に大綱引き 与那城村屋慶名」
『琉球新報 1983.8.1』
朝刊16面「屋慶名 東組が勝利 綱引き、カチャーシーでフィーバー」
『琉球新報 1984.7.22』
朝刊1面「勇壮 屋慶名大綱引き」
『琉球新報 1985.8.8』
朝刊13面「勇壮 2つの大綱引き 与那城村屋慶名 宜野湾市大山「伝統」に人の山」
『琉球新報 1989.8.3』
朝刊25面「熱気に満つ伝統の大綱 与那城村屋慶名区」
『琉球新報 2001.8.5』
朝刊25面「大綱 12年ぶり復活 与那城町屋慶名」
『琉球新報 2008.7.24』
朝刊20面「屋慶名大綱引き 7年ぶり復活」
『琉球新報 2012.8.18』
24面「綱引きで繁栄祈願 4年ぶり「オーエイ」うるま市屋慶名」
『琉球新報 2015.8.6』
30面「屋慶名綱引き熱く」
『沖縄タイムス 2018.8.15』
20面「伝統の熱気 地域に活気 屋慶名で大綱引き」
地図をGoogleマップで表示
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