2021年10月30日に金武観音寺で、かりゆし芸能公演「金武観音寺×琉球舞踊」が開催されました。
金武観音寺(真言宗)は、琉球八社の一つ「金武宮」(熊野権現)に併置された由緒ある寺社です。
地謡の生演奏やライトアップされた野外舞台は、厳かな雰囲気で最高でした。

琉球舞踊「伊野波節」@金武観音寺×琉球舞踊

当日は午後6時開場でしたが、自由席なので早めに午後5時に到着。
既に、観音寺の前の駐車場で待って居いる人達が居ました。汗
日が暮れると、観音寺が浮かび上がって来ます。

金武観音寺

開演前になると、観音寺の前に設置された野外舞台がライトアップされました。
最初の演目は、古典舞踊(若衆踊)「若衆ゼイ」。
若衆は、元服前の少年の事。
ゼイ(麾)は、武将が軍の采配を振る時の小道具の事です。
祝儀舞踊の一つで、座開きでよく上演されます。


琉球舞踊「若衆ゼイ」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「若衆ゼイ」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「若衆ゼイ」@金武観音寺×琉球舞踊

2番目は、古典舞踊(女踊)「柳」。
小道具で、柳、花(牡丹)、梅を持って踊ります。
柳がシャキーンと伸びるのが、恰好良かったですね。笑

〈柳節〉
柳は緑 花は紅 人はただ情 梅は匂い
歌意:柳は緑が素晴らしく 花(牡丹)は紅が美しい 人として大切なのは情けの心 梅は匂いが命です


琉球舞踊「柳」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「柳」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「柳」@金武観音寺×琉球舞踊

3番目は、古典舞踊(二才踊)「上り口説」。
二才は、元服した青年の事です。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂から薩摩藩の山川港)が歌われています。
途中の難所の七島渡や硫黄島、桜島などが出てきて面白いですね。


琉球舞踊「上り口説」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「上り口説」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「上り口説」@金武観音寺×琉球舞踊

4番目は、古典舞踊(二才踊)「前の浜」。
「前の浜」は、那覇の渡地(現在の通堂町付近)の浜の事。
組踊「微行の巻」「辺戸の大主」から独立して出来た琉球舞踊です。


琉球舞踊「前の浜」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「前の浜」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「前の浜」@金武観音寺×琉球舞踊

5番目は、雑踊「浜千鳥」。
古典舞踊は、琉球が日本に取り込まれる前に成立した王族・士族階級の為の踊りでした。
一方雑踊は、都落ちした士族によって宮廷芸能が庶民に広がり、庶民の舞踊として成立しました。
「浜千鳥」は、明治24年頃に玉城盛重によって振り付けられました。
玉城盛重は、元士族の家系(翁氏・玉城殿内の分家)でした。


琉球舞踊「浜千鳥」@金武観音寺

琉球舞踊「浜千鳥」@金武観音寺

琉球舞踊「浜千鳥」@金武観音寺

6番目は、古典舞踊(女踊)「瓦屋」。
別名「月見踊り」とも呼ばれていて、中踊の「瓦屋節」は、悲恋物語として劇や映画の題材になっています。


琉球舞踊「瓦屋」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「瓦屋」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「瓦屋」@金武観音寺×琉球舞踊

7番目は、古典舞踊(二才踊)「高平良万歳」。
万歳は、門付け芸能の一つで、人家の門口で芸能をして報酬を受け取る芸能・芸能者の事。
組踊「万歳敵討」から独立して出来た琉球舞踊です。
謝名の子 と 慶雲の兄弟は、万歳姿に変装し、敵の高平良御鎖に近づいて、親の仇討ちを果たします。
本来は2人で踊る演目ですが、最近は1人で踊ることが多いです。
仇討ちの踊りなので、力強いですね。


琉球舞踊「高平良万歳」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「高平良万歳」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「高平良万歳」@金武観音寺×琉球舞踊

最後の演目は、古典舞踊(女踊)「伊野波節」。
女踊の技法の粋を集めていて、女踊の中でも人気の演目です。
恩納節には、恩納ナビーの有名な琉歌が歌われています。

〈恩納節〉
恩納松下に 禁止の牌の立ちゆす 恋忍ぶまでの 禁止や無さめ
歌意:恩納番所の松の木の下に 禁止の立て札が立っている まさか男女の恋を忍ぶことを禁ずる御触れではないでしょう


琉球舞踊「伊野波節」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「伊野波節」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「伊野波節」@金武観音寺×琉球舞踊

琉球舞踊「伊野波節」@金武観音寺×琉球舞踊

約1時間半の公演の後は、立方と地謡の人達が集合して記念写真。

集合写真@金武観音寺×琉球舞踊

今回のイベントは、那覇からでも見に行く価値がありました。
今後も、ぜひ続けて欲しいですね。

かりゆし芸能公演「金武観音寺×琉球舞踊」の地図
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