用事のついでに、与儀公園に行って来ました。
今年は例年より約1か月遅れで満開になっていました。

メジロとカンヒザクラ@与儀公園

下の画像が、与儀公園のメイン通り。
暖冬のためか、例年より花の数が少なめです。

カンヒザクラ@与儀公園

カンヒザクラが一番綺麗だったのは、那覇市民会館と県立図書館・那覇市立中央図書館の間を流れるガープ川沿い。

カンヒザクラ@与儀公園

カンヒザクラ@与儀公園

カンヒザクラ@与儀公園

沢山のメジロが、花の蜜を吸いに集まっていました。
チーチーという鳴き声がアチコチから聞こえて、人慣れしているのかな?

メジロとカンヒザクラ@与儀公園

メジロとカンヒザクラ@与儀公園

メジロとカンヒザクラ@与儀公園

与儀公園には、国鉄D51形蒸気機関車が展示されています。
これは本物で、1973(昭和48)年3月8日に、那覇市に譲渡されました。
当時は、実際に走っていたそうですが、現在はフェンスに囲まれて外から見るだけです。

D51形蒸気機関車@与儀公園

那覇市の案内板では、以下の説明が表示されています。

D51 222静態保存の由来

 沖縄の本土復帰(昭和47年5月15日)を記念して、北九州市の日本国有鉄道門司鉄道管理局の有志の方々によって、沖縄の子供を招く運動が展開されました。そのとき那覇市内の小学校5・6年生72名が招待され、国鉄職員の里親のもとで、8日間の楽しい生活を送りました。
 はじめてみる九州の自然や温かく迎えていただいた里親の心づかいに子供たちは感激するとともに、身近に見た蒸気機関車の巨大さ、たくましさにすっかり心を うばわれ、口々に機関車がほしいと言いだしました。それを聞いた里親である国鉄職員の方々は、鉄道のない沖縄の子供たちのために、何とか九州を走っている 実物の蒸気機関車を贈ろうということになりました。
 ところが、鹿児島から海 上600キロメートル隔てた那覇へ重さ90トンのD51を運ぶことは高度の輸送技術と莫大な費用がかかりましたが、重量輸送について経験深い業者の協力 と、国鉄職員をはじめ全国の方々からの1千4百万余円の募金によって、無事の偉業が実現しました。
 ここに展示されているD51 222は、このような経過のもとに贈られたものですが、関係各位の努力はもとより、沖縄を思う親愛の情の象徴としていつまでも大切に保存したいものです。

D51 222のおいたち

昭和13年12月19日 小倉工場で完成

昭和13年12月30日 大里機関区に配属(現在の門司機関区)鹿児島本線門司-熊本間で運転
その後日豊本線小倉-大分間で運転

昭和19年5月4日 直方機関区へ転属 筑豊線で石炭を運ぶ

昭和18年11月27日 熊本機関区へ転属 鹿児島本線で運転

昭和46年5月14日 南延岡機関区へ転属 日豊本線で大分-宮崎間を運転
走行距離 2,876,479km(地球の71周)


カンヒザクラが満開@那覇市与儀公園の地図
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