恩納村の名嘉真区豊年祭
2024年9月22日、恩納村の名嘉真区豊年祭を見学しました。
名嘉真の豊年祭は、女踊も男性が踊る本来の豊年祭に近いので必見。
南方系の芸能、フェーヌシマ(南の島)も面白かったです。
午後1時頃、名嘉真公民館(名嘉真区多目的施設)に到着。
入り口には、名嘉真二才中の旗頭が立っていました。
二才中(二才揃)は、明治以降の青年会の前身にあたる組織。
二才中が残っている地域は、殆どないので珍しいですね。
野外舞台には、名嘉真の神獅子。
今年は天気が不安定なので、舞台は公民館内になったそうです。涙
眞那津地嶽(眞嘉佐威部司)での御願。
この御嶽には、泊頭嶽(神名:青筋司)と江伊普嶽(神名:青手司)が、1903年に合祀されています。
二才中の人達が、琉球舞踊を奉納します。
午後7時、豊年祭の舞台が、名嘉真公民館で始まりました。
最初の演目は、二才笠踊「万寿主」。
陣笠を持って、久高万寿主、国頭サバクイ、シンダスリ節で踊ります。
2番目の演目は、豊年祭の定番「長者ヌ大主」。
120歳の大主が、子や孫を連れて祝言を述べます。
続いて、孫や子の踊りが披露されました。
3番目の演目は、二才踊「揚作田(ゼイ)」。
「揚作田」には、ゼイ以外にも、扇や長刀のバージョンもあります。
定番の祝儀舞踊です。
陣笠やゼイ(麾)は、本土では戦いに使われますが、沖縄の舞踊では平和の象徴です。
4番目は、雑踊「浜千鳥」。
人気の演目で、豊年祭の定番です。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容。
こねり手の動きが上手いです。
プログラム5番「二才頭挨拶」、6番「区長挨拶」。
7番目の演目は、二才踊「四季口説」。
立方は、踊るだけではなく、春夏秋冬の情景を七五調の口説で歌うので凄いですね。
8番目の演目は、獅子舞。
名嘉真の獅子頭は、沖縄戦で紛失しましたが、1950年頃に仲嶺康輝(画家)のデザインで宮城政太郎により製作されました。
獅子頭の目には、空の薬莢が使われているそうです。
9番目の演目は、二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)を歌っています。
10番目の演目は、女踊「恩納節」。
昔の豊年祭では、女踊でも男性が踊るのが一般的でした。
現在でも女踊を男性が踊る恩納村の名嘉真は必見です。
曲の前半は恩納節、後半は金武節でした。
11番目の演目は、ミルク(弥勒)。
弥勒は、沖縄のニライカナイ信仰と混ざり合って、海の彼方から五穀豊穣をもたらす神(来訪神)と考えられています。
お菓子をばら撒くので、チビッ子に大人気ですね。笑
12番目の演目は、二才踊「揚作田(扇)」。
名嘉真の豊年祭では、揚作田のゼイと扇は、同じ立方が踊るそうです。
13番目の演目は、二才踊「前ノ浜」。
一般の「前の浜」とは違って、陣笠を持って踊りました。
曲の前半は前の浜節ですが、後半は湊くり節だったので、曲の構成も他地域と違いますね。
14番目の演目は、二才踊「波平大主道行口説」。
組踊「忠臣身替」から独立した琉球舞踊です。
最初の唱えが見所。
15番目の演目は、女踊「白瀬節」。
前半は、白瀬走川節で貫花を踊り、途中で花コーヤー(花を買う人)が登場します。
名嘉真の女踊は、摺り足でないのが、特徴的ですね。
「白瀬節」の後半は、花風節で四つ竹を踊ります。
後半の歌詞は、踊りこはでさ節かな?
16番目の演目は、獅子舞。
1回目の獅子舞は、「御前風」でユッタリとした舞でしたが、2回目は「加那よー」でテンポ良く動いてました。
17番目の演目は、二才踊「下り口説」。
薩摩藩に出張した琉球の役人が、琉球に帰って来る時の道行を歌っています。
18番目の演目は、雑踊「花風」。
花は、辻の遊女のことです。
愛しい人との悲しさを表現しています。
19番目の演目は、二才踊「大願口説」。
名嘉真では、二才中のアガイジャー(卒業する人)が踊る演目です。
最後の演目は、フェーヌシマ(南の島)。
フェーヌシマは、東恩納寛惇や山内盛彬によると南蛮渡来の踊りと云われていますが、九州からの伝来説などもあります。
最初に登場する2人のトーヌチュングワー(トンツーグワー)が可愛いですね。
前半の空手踊り。
後半の棒踊り。
手に持っているのは、日本の山伏の錫杖に似ている気がします。
カチャーシー。
みんな楽しそうですね。
豊年祭の舞台は、午後9時半過ぎに終了しました。
名嘉真の豊年祭は、お勧めです。
地図をGoogleマップで表示
名嘉真の豊年祭は、女踊も男性が踊る本来の豊年祭に近いので必見。
南方系の芸能、フェーヌシマ(南の島)も面白かったです。
午後1時頃、名嘉真公民館(名嘉真区多目的施設)に到着。
入り口には、名嘉真二才中の旗頭が立っていました。
二才中(二才揃)は、明治以降の青年会の前身にあたる組織。
二才中が残っている地域は、殆どないので珍しいですね。
野外舞台には、名嘉真の神獅子。
今年は天気が不安定なので、舞台は公民館内になったそうです。涙
眞那津地嶽(眞嘉佐威部司)での御願。
この御嶽には、泊頭嶽(神名:青筋司)と江伊普嶽(神名:青手司)が、1903年に合祀されています。
二才中の人達が、琉球舞踊を奉納します。
午後7時、豊年祭の舞台が、名嘉真公民館で始まりました。
最初の演目は、二才笠踊「万寿主」。
陣笠を持って、久高万寿主、国頭サバクイ、シンダスリ節で踊ります。
2番目の演目は、豊年祭の定番「長者ヌ大主」。
120歳の大主が、子や孫を連れて祝言を述べます。
続いて、孫や子の踊りが披露されました。
3番目の演目は、二才踊「揚作田(ゼイ)」。
「揚作田」には、ゼイ以外にも、扇や長刀のバージョンもあります。
定番の祝儀舞踊です。
陣笠やゼイ(麾)は、本土では戦いに使われますが、沖縄の舞踊では平和の象徴です。
4番目は、雑踊「浜千鳥」。
人気の演目で、豊年祭の定番です。
歌詞は、旅先で遠く離れた恋人や故郷を思う内容。
こねり手の動きが上手いです。
プログラム5番「二才頭挨拶」、6番「区長挨拶」。
7番目の演目は、二才踊「四季口説」。
立方は、踊るだけではなく、春夏秋冬の情景を七五調の口説で歌うので凄いですね。
8番目の演目は、獅子舞。
名嘉真の獅子頭は、沖縄戦で紛失しましたが、1950年頃に仲嶺康輝(画家)のデザインで宮城政太郎により製作されました。
獅子頭の目には、空の薬莢が使われているそうです。
9番目の演目は、二才踊「上り口説」。
琉球の役人が薩摩藩に出張する際の道行(首里観音堂~山川港)を歌っています。
10番目の演目は、女踊「恩納節」。
昔の豊年祭では、女踊でも男性が踊るのが一般的でした。
現在でも女踊を男性が踊る恩納村の名嘉真は必見です。
曲の前半は恩納節、後半は金武節でした。
11番目の演目は、ミルク(弥勒)。
弥勒は、沖縄のニライカナイ信仰と混ざり合って、海の彼方から五穀豊穣をもたらす神(来訪神)と考えられています。
お菓子をばら撒くので、チビッ子に大人気ですね。笑
12番目の演目は、二才踊「揚作田(扇)」。
名嘉真の豊年祭では、揚作田のゼイと扇は、同じ立方が踊るそうです。
13番目の演目は、二才踊「前ノ浜」。
一般の「前の浜」とは違って、陣笠を持って踊りました。
曲の前半は前の浜節ですが、後半は湊くり節だったので、曲の構成も他地域と違いますね。
14番目の演目は、二才踊「波平大主道行口説」。
組踊「忠臣身替」から独立した琉球舞踊です。
最初の唱えが見所。
15番目の演目は、女踊「白瀬節」。
前半は、白瀬走川節で貫花を踊り、途中で花コーヤー(花を買う人)が登場します。
名嘉真の女踊は、摺り足でないのが、特徴的ですね。
「白瀬節」の後半は、花風節で四つ竹を踊ります。
後半の歌詞は、踊りこはでさ節かな?
16番目の演目は、獅子舞。
1回目の獅子舞は、「御前風」でユッタリとした舞でしたが、2回目は「加那よー」でテンポ良く動いてました。
17番目の演目は、二才踊「下り口説」。
薩摩藩に出張した琉球の役人が、琉球に帰って来る時の道行を歌っています。
18番目の演目は、雑踊「花風」。
花は、辻の遊女のことです。
愛しい人との悲しさを表現しています。
19番目の演目は、二才踊「大願口説」。
名嘉真では、二才中のアガイジャー(卒業する人)が踊る演目です。
最後の演目は、フェーヌシマ(南の島)。
フェーヌシマは、東恩納寛惇や山内盛彬によると南蛮渡来の踊りと云われていますが、九州からの伝来説などもあります。
最初に登場する2人のトーヌチュングワー(トンツーグワー)が可愛いですね。
前半の空手踊り。
後半の棒踊り。
手に持っているのは、日本の山伏の錫杖に似ている気がします。
カチャーシー。
みんな楽しそうですね。
豊年祭の舞台は、午後9時半過ぎに終了しました。
名嘉真の豊年祭は、お勧めです。
地図をGoogleマップで表示
← 前の記事:令和6年度 首里末吉町十五夜祭
次の記事:浦添市の城間松明大綱引 2024 →