八重瀬町富盛の十五夜祭り
2023年10月1日、八重瀬町富盛の十五夜祭りが開催。
午後2時から午後11時頃まで、大和人行列、唐人行列、棒巻、女行列(ヨンシー)、十五夜綱引き、琉球舞踊、組踊などを見学しました。
3年に1回の綱引きと、21年ぶりに復活した組踊「伏山敵討」で、地元の人達の盛り上がりは凄かったです。

富盛の十五夜祭りは、旧暦8月15日でしたが、近年は旧暦8月15日に近い週末に行われています。
富盛の南(フェー)と北(ニシ)に分かれて、出し物や綱引きを競います。
午後2時頃、富盛公民館前で参加者全員の御願からスタート。

まずは、旗頭の演舞。
南と北それぞれ2本で、合計4本。
一番旗頭の旗字は、南は「振勢」、北は「求福」。

天気が不安定な日でしたが、見事に晴れて、青空に旗頭が眩しいですね。

続いて、小学4~6年生による金鼓隊。

幼稚園から小学3年生による今年カーラー。

南の出し物で、大和人行列。
「シターニ、シタニ」と声をかけながら踊ります。
大和風の衣装には、薩摩の紋章「丸に十文字」。
1609年以降、薩摩による支配の名残でしょうか。

赤色の衣装の人達が、オージメー。

北の出し物で、唐人行列。
先導役のアゥーを先頭に、大相公達が続きます。

大相公に対して、唐手演舞が披露されます。
大和人行列と唐人行列はいつ始まったかは不明ですが、およそ300年前と考えられています。

棒術の演舞。
富盛は棒術が盛んな地域で、大勢の人達が参加していました。



100名以上による棒巻。
先導役2名によって、様々な隊形になりました。

グルグル回って、棒を叩き合います。


南北合同の女性による女行列(ヨンシー)。
先頭の人形は、富盛高人(タカッチュー)と呼ばれています。
南のタカッチューに対して、昔は北の弥勒も参加していました。
しかし、十五夜行事に雨が多いことが弥勒のせいにされて、弥勒は廃止となりました。

約100名の大行列でした。


ヨンシーの後は、カチャーシー。
タカッチューも踊っていました。


3年に一度の十五夜綱引きも行われました。
南の綱の上にいる支度は、前から弓持、弁慶、流し旗持。
支度のことを、富盛では「カニチ上ヌブイ」と呼ぶそうです。

北の支度は、前からゼイ持、牛若丸、流し旗持。

綱引きは2回行われて、南北それぞれ一勝一敗の引き分けでした。

1回目と2回目の綱引きの間には、綱ガーエー。
勝った方から綱を持ち上げて、練り歩きます。

綱引き後は、ガーエー。
両手を上げて、背中で押し合います。
子供や女性などのガーエーも盛り上がりました。


綱引き後のカチャーシー。
昼の部は、午後5時半過ぎに終わりました。

午後7時、富盛公民館横の野外舞台で、夜の部のスタート。

琉球古典舞踊「かぎやで風」。

南北それぞれの中高生による二才踊。




結い保育園の園児たち。

雑踊「貫花」。

21年ぶりの復活した組踊「伏山敵討」。
猪狩りへ向かう天願の按司達の場面。

天願の按司達が、狩人から富盛大主が本部山に潜んでいる事を聞き出す場面。
狩人は猪を持っているはずですが、熊のように見えます。笑

本部山で対峙する天願の按司達と棚原の若按司・富盛大主。

棚原の若按司と富盛大主が、天願の按司を討ち取る場面。

組踊の集合写真。

組踊の後は、フラダンスや民謡ショー。
若い人達が帰った後、年配の方達が、鍬を持って踊っていました。笑

午後11時頃、カチャーシーが続いています。
多分演目はもう無いので、会場を後にしました。

富盛の十五夜祭りで、沖縄本島南部も芸能の盛んな地域だと再確認しました。
一つの字で、ここまでの内容の豊年祭を行うのは凄いですね。

地図をGoogleマップで表示
午後2時から午後11時頃まで、大和人行列、唐人行列、棒巻、女行列(ヨンシー)、十五夜綱引き、琉球舞踊、組踊などを見学しました。
3年に1回の綱引きと、21年ぶりに復活した組踊「伏山敵討」で、地元の人達の盛り上がりは凄かったです。

富盛の十五夜祭りは、旧暦8月15日でしたが、近年は旧暦8月15日に近い週末に行われています。
富盛の南(フェー)と北(ニシ)に分かれて、出し物や綱引きを競います。
午後2時頃、富盛公民館前で参加者全員の御願からスタート。

まずは、旗頭の演舞。
南と北それぞれ2本で、合計4本。
一番旗頭の旗字は、南は「振勢」、北は「求福」。

天気が不安定な日でしたが、見事に晴れて、青空に旗頭が眩しいですね。

続いて、小学4~6年生による金鼓隊。

幼稚園から小学3年生による今年カーラー。

南の出し物で、大和人行列。
「シターニ、シタニ」と声をかけながら踊ります。
大和風の衣装には、薩摩の紋章「丸に十文字」。
1609年以降、薩摩による支配の名残でしょうか。

赤色の衣装の人達が、オージメー。

北の出し物で、唐人行列。
先導役のアゥーを先頭に、大相公達が続きます。

大相公に対して、唐手演舞が披露されます。
大和人行列と唐人行列はいつ始まったかは不明ですが、およそ300年前と考えられています。

棒術の演舞。
富盛は棒術が盛んな地域で、大勢の人達が参加していました。



100名以上による棒巻。
先導役2名によって、様々な隊形になりました。

グルグル回って、棒を叩き合います。


南北合同の女性による女行列(ヨンシー)。
先頭の人形は、富盛高人(タカッチュー)と呼ばれています。
南のタカッチューに対して、昔は北の弥勒も参加していました。
しかし、十五夜行事に雨が多いことが弥勒のせいにされて、弥勒は廃止となりました。

約100名の大行列でした。


ヨンシーの後は、カチャーシー。
タカッチューも踊っていました。


3年に一度の十五夜綱引きも行われました。
南の綱の上にいる支度は、前から弓持、弁慶、流し旗持。
支度のことを、富盛では「カニチ上ヌブイ」と呼ぶそうです。

北の支度は、前からゼイ持、牛若丸、流し旗持。

綱引きは2回行われて、南北それぞれ一勝一敗の引き分けでした。

1回目と2回目の綱引きの間には、綱ガーエー。
勝った方から綱を持ち上げて、練り歩きます。

綱引き後は、ガーエー。
両手を上げて、背中で押し合います。
子供や女性などのガーエーも盛り上がりました。


綱引き後のカチャーシー。
昼の部は、午後5時半過ぎに終わりました。

午後7時、富盛公民館横の野外舞台で、夜の部のスタート。

琉球古典舞踊「かぎやで風」。

南北それぞれの中高生による二才踊。




結い保育園の園児たち。

雑踊「貫花」。

21年ぶりの復活した組踊「伏山敵討」。
猪狩りへ向かう天願の按司達の場面。

天願の按司達が、狩人から富盛大主が本部山に潜んでいる事を聞き出す場面。
狩人は猪を持っているはずですが、熊のように見えます。笑

本部山で対峙する天願の按司達と棚原の若按司・富盛大主。

棚原の若按司と富盛大主が、天願の按司を討ち取る場面。

組踊の集合写真。

組踊の後は、フラダンスや民謡ショー。
若い人達が帰った後、年配の方達が、鍬を持って踊っていました。笑

午後11時頃、カチャーシーが続いています。
多分演目はもう無いので、会場を後にしました。

富盛の十五夜祭りで、沖縄本島南部も芸能の盛んな地域だと再確認しました。
一つの字で、ここまでの内容の豊年祭を行うのは凄いですね。
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