ゥワーフール(豚便所)は、豚の飼育も兼ねた便所の事で、排泄物を豚の餌にしていました。
とてもエコなシステムですが、衛生上の問題から明治以降使われなくなりました。
2~3連式のゥワーフールは良く見られますが、7連式は非常に珍しいです。
今回は、那覇市首里金城町に7連式ゥワーフールが在るという情報から、現地で探して見学して来ました。

7連式のゥワーフール@首里金城町

まずは、首里城公園側から、首里金城町の石畳道を下って行きます。
首里金城町の石畳道は、上側の島添坂(シマシービラ)と下側の金城坂(カナグシクビラ)に分かれます。
島添坂は沖縄戦で破壊され、戦後コンクリートになりましたが、石畳に整備されました。
日本の道100選では、島添坂も含んで指定されています。

首里金城町の石畳道(島添坂, シマシービラ)

首里金城町の石畳道(島添坂, シマシービラ)

下側の金城坂は、沖縄戦を奇跡的に生き抜いたもので、沖縄県指定の史跡にもなっています。

首里金城町の石畳道(金城坂, カナグシクビラ)

首里金城町の石畳道(金城坂, カナグシクビラ)

首里金城町の石畳道(金城坂, カナグシクビラ)

首里金城村屋(昔の役場)跡。

首里金城村屋

昔は、村屋の4隅に大きいガジュマルがあったそうです。
一本だけでも、良い雰囲気ですね。

首里金城村屋

村屋の中には、旗頭のトゥールーが在りました。

首里金城村屋

村屋の隣には、金城大樋川。
井戸(ガー)と樋川(フィージャー)は時々混同されますが、樋を使ったものが樋川です。
金城町は水の豊富な地域で、大樋川は琉球の紙漉き発祥の地です。

金城大樋川@首里金城町

明治~沖縄戦まで、首里は醸造所の最も多い地域でした。
泡盛の蒸留粕は、栄養に富むので豚の餌として重宝されました。
大型の7連式ゥワーフールは、おそらく昔金城町にあった大きな醸造所にあるはず。
『日本酒類醤油大鑑』(醸界新聞社/編・刊、1936(昭和11))によると、首里市金城町には、以下の4人(宮城ムタル、比嘉重賢、新垣恒敬、新垣芳盛)の焼酎醸造家(泡盛)が居ました。
※比嘉重賢の生産石高が一番大きい。
『那覇の民俗編集ニュース No.14』(那覇市企画部市史編集室/編・刊、1977(昭和52).2)の「戦前の金城町民俗地図(昭和4~10年頃)」によると、当時4軒の酒屋(宮城酒屋、比嘉酒屋、酒屋アガリの新垣、酒屋イリの新垣)が在りました。
醸造家と酒屋の名前が、良く一致していますね。
おそらく、一番大きい比嘉酒屋に、7連式ゥワーフールが在りそうです。
戦前と戦後で金城町の道筋は殆ど同じなので、「戦前の金城町民俗地図」を頼りに、それぞれを調査することに。
元・比嘉酒屋の近くで地元の人と世間話をしていると、元・比嘉酒屋の民家に紹介してくれました。
元・比嘉酒屋の人によると、金城町で最も遅くまで開業していたそうです。
他にも、屋号など色々と教えてもらいました。
民家の敷地内で外からは見えませんでしたが、7つのゥワーフールが繋がった、7連式のゥワーフールを発見!

7連式のゥワーフール@首里金城町

7連式のゥワーフール@首里金城町

「酒屋イリの新垣」は、飲食店「首里殿内」に変わっていました。

首里殿内@首里金城町

首里殿内は、民俗資料館と泡盛資料館を併設。
2連式のゥワーフールも在りました。

ゥワーフール@首里金城町(首里殿内)

「宮城酒屋」と「酒屋アガリの新垣」は、現在民家でした。
せっかくなので、首里金城町の大アカギも見学。
立ち入り禁止になっていて、木の傍には行けませんでした…

首里金城町の大アカギ

今回は、首里金城町の7連式ゥワーフールを見学出来て大成功でした。
昔の史料を使って探検するのも面白いですね。

7連式ゥワーフール(豚便所)@那覇市首里金城町の地図
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