前回の安須森御嶽に続いて、琉球開闢七御嶽の一つ、クバの御嶽(クボウ御嶽)に行って来ました。
「クバの御嶽」と「クボウ御嶽」ですが、どちらが正式名称かは不明。汗
「クバ」は、植物の「蒲葵」、「クボウ」は「公方(朝廷)」を意味します。
*御嶽の入口の案内板には、「クバの御嶽」と書かれていました。

クバの御嶽が今帰仁城跡の近くに在るのは知っていたけど、今回も御嶽の場所が分からない…汗
そこで、入園する訳じゃ無いので少し申し訳なかったですが、今帰仁城跡公園の受付の人に、御嶽の入口の場所を教えてもらいました。
入口から少し歩くと、静かな拝所(クバの御嶽)を発見。

クバの御嶽(クボウ御嶽)@今帰仁村

拝所の横の登山道から、頂上を目指しました。
およそ15分位登ると、見晴らしが良くなりました。
今帰仁城跡を見渡せて、爽快です!!

クバの御嶽(クボウ御嶽)@今帰仁村

クバの御嶽(クボウ御嶽)@今帰仁村

少し進むと、今帰仁城跡を見下ろす感じの場所にも、拝所が在りました。

クバの御嶽(クボウ御嶽)@今帰仁村

クバの御嶽には、プトゥキヌイッピヤ(「解きの岩屋」の意味)と呼ばれる洞窟が在って、子宝を授かる拝所として多くの参拝者が訪れるそうです。
見てみたかったんですが、御嶽全体が静粛な雰囲気で、探すことは諦めました。
あまり土足で入り込むのは、良くないですからね。
(注)
琉球開闢の御嶽として、今帰仁城内にある「カナヒャブ」と今帰仁城近くの「クバの御嶽」の2通りがあります。

羽地朝秀による琉球国の正史『中山世鑑』(1650年)では、「琉球開闢之事」でカナヒヤブ(カナヒャブ、神名:テンツギノカナヒヤブノ御イベ)が、以下のように記述されています。
“先ヅ一番ニ国頭ニ邊土ノ安須森、次ニ今鬼神ノ、カナヒヤブ、次ニ知念森、斎御嶽、藪薩ノ浦原、次ニ玉城アマツヅ、次ニ久髙コバウ森次ニ首里森、眞玉森、次ニ嶋々國々ノ、嶽々森森ヲバ、作リテケリ。”

一方、琉球王府が編纂した『琉球国由来記』(1713年)では、コバウノ嶽(クバの御嶽、神名:ワカツカサノ御イベ)が、以下のように記述されています。
“昔、君真物出現之時、此所ニ黄冷傘立時ハ、コバウノ嶽ニ赤冷傘立、又コバウノ嶽ニ黄冷傘立時ハ、此所ニ赤冷傘立ト、申伝也”
君真物はキンマモンの事で、確かに「クバの御嶽」は琉球開闢に関係していますね。

琉球王府末期の『聞得大君御殿并御城御規式之御次第』(1875年)では、七御嶽が以下のように記述されています。
“御国之御立始は国頭間切あおひ之御嶽今帰仁こはおの御嶽首里森之御嶽そやはの御嶽弁之御嶽久高こはおの御嶽玉城雨辻此七御嶽”
カナヒャブに代わって、こはうの御嶽(クバの御嶽)が七御嶽に入っています。

以上の事から、琉球開闢の御嶽は時代により異なっていて、「カナヒャブ」から「クバの御嶽」に変化したようです。
(2021.2.12追加)
クバの御嶽からの帰りに、運天森園地に寄ってみました。
友人から古宇利大橋が綺麗に見られると聞いていたけど、その通り。
人にあまり知られていないので、とても静かです。
しばらくマッタリ出来ました。笑

運天森園地から見た古宇利大橋

クバの御嶽(クボウ御嶽)の地図
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